小谷野敦
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小谷野 敦(こやの あつし、1962年12月21日 -)は比較文学者、評論家、小説家。茨城県水海道市(現・常総市)生まれ。近代的理念を再評価する「新近代主義」の立場を取り、現代日本の論壇人への苛烈な批判で知られる。また、天皇制廃止論者で、「共和主義者」を自称する。
目次 |
[編集] 学歴
- 1981年 海城高等学校卒業
- 1987年 各1年間の浪人・留年を経て東京大学文学部英文学科卒業、同大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻修士課程進学
- 1990-92年 ブリティッシュコロンビア大学留学
- 1994年 東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化専攻博士課程単位取得満期退学
- 1997年 学術博士(超域文化科学、東京大学)
[編集] 職歴
- 1994年 大阪大学言語文化部専任講師
- 1997年 大阪大学言語文化部助教授(-1999年)
- 1999年 明治大学兼任講師(-2005年)
- 2001年 東京大学非常勤講師(-現在)
- 2003年 国際日本文化研究センター客員助教授(-2006年)
[編集] 人物・思想
[編集] 経歴
兼業農家の三男と次女の家庭に二人兄弟の長男として生まれる[1][2]。父は結核で療養生活を送り、大学への進学を諦めて時計職人となった経歴の持ち主であり、母親は中学校を出てから銀行に勤務し、通信教育で高校を卒業した[1]。このため「小谷野の学歴への強いこだわりは『両親も親戚もみんな学歴が低い』ことの裏返し」と報道されたこともある[1]。
小学校2年生のとき交通事故で長期入院を余儀なくされる[1]。同じころ父親が転職したためもあり、小学校3年生のとき埼玉県越谷市に転居[1]。転校先の越谷市立出羽小学校でいじめを受ける[1]。同校4年生の時、国語の教科書に載っていたシェイクスピアの『リア王』の児童向けリライト版冒頭部分に影響され、学級新聞に小説『新・リア王』を連載したことがある[3]。12歳のとき、NHKの人形劇『新八犬伝』に夢中になったことから日本の古典や時代物小説を読むようになる。越谷市立富士中学校在学中は漫画家志望だったが、絵を描く作業が面倒なので、高校時代に大江健三郎や太宰治を読むようになると小説家志望へ転じる[4]。高校ではなかなか友人ができず、いじめっ子集団の標的にされ、成績は平均よりも下を低迷していた[5]。このいじめは、2年生になって成績が向上するまで続いた[6]。陰惨な環境の男子校だったため「男性的なもの」を激しく嫌悪し、女性的なものに憧れて『キャンディ・キャンディ』に熱中した[7]。
大学では第二外国語として選んだドイツ語に挫折し[8]、英文科に進んだ。大江と同じように23歳で芥川賞を取って大学卒業後ただちに作家生活に入ることを考え、大学時代は同人誌めいた発表舞台に2~3篇を載せたが自信を失って挫折[4]。しかし大学の卒論を書くことが面白かったことから評論家志望に転じ[4]、1990年6月、東大大学院での修士論文が芳賀徹の推薦で福武書店から『八犬伝綺想』として出版される。
1990年8月からカナダのブリティッシュ・コロンビア大学に留学、鶴田欣也の指導を受ける(このカナダ留学が、思いを寄せる女性を追いかけてのものであったことが、後に発表された小説「悲望」で明らかになった)。留学中は『日本文学』『批評空間』に論文を発表。鶴田からは「評論家的な資質が自分に似ている」と評され、芳賀らとは後に学問的な対立をしたこともあり、のちに「鶴田が自分の師匠である」と言っている。1992年に日本へ帰国。
1993年4月から東京郊外の短大にて英語の非常勤講師を務める。1994年4月、大学院の先輩でロシア語教官であるヨコタ村上孝之助教授の世話により[9]、大阪大学専任講師に就任。1997年には東大で博士号を取得。同年、大阪大学では助教授に進んだが、1999年3月に辞職して東京に移住。この辞職について小谷野本人は、酒乱の同僚から恫喝や暴言を受け続け、神経症になったためとしている。[10][9]また、辞職の直前、1999年1月にちくま新書から『もてない男──恋愛論を超えて』を刊行し、新書としては異例のベストセラーになった。
1999年10月、5歳上の言語学者で大阪大学助教授の由本陽子と「結婚」し[11]、週刊誌から「裏切り」と報道された[12][1]。この「結婚」は挙式のみで婚姻届なしの遠距離別居であり、小谷野によれば「恋愛できない人間にお勧めの『友愛結婚』の実践」だったが[1]、入籍について由本の同意が得られなかったため、3年弱で小谷野の側から「離婚」を申し入れた[1]。なお、この時には由本の弁護士から「離婚」の条件として「結婚、離婚の経緯を一切、文章に書かないこと」を要求され、「書いたら民事訴訟を起こす」と通告されている[13]。
その後、結婚情報サービスに入ろうとしたり、『帰ってきたもてない男――女性嫌悪を超えて』の後書きで「結婚相手に求める七か条」を書いたりするなどの試行錯誤を経て、2007年、ブログで知合った21歳年下の大学院生の女性と入籍した[14][15]。
[編集] 言論活動
1990年代後半から評論活動でのジャーナリズムへの登場が増え始め、1999年に出版された『もてない男―恋愛論を超えて』(ちくま新書)は10万部を超えるベストセラーとなり、一躍有名になった。一連の著作で自らを「もてない男」「軟弱者」と規定し、「誰にでも恋愛ができる」というのが近代恋愛思想の最大の嘘だとの主張は斬新で注目を集めた。このほか、『バカのための読書術』などの啓蒙書も多い。評論家としては呉智英の影響を大きく受けている。エッセイについては群ようこを師匠と呼び、「学者っぽいところは高島俊男先生、怒ってばかりいるところは筒井康隆の日記、あたりが師匠筋に当たろうか」と述べている[16]。
研究対象は恋愛の比較文化論で、博士論文『<男の恋>の文学史』では、従来、成立したものとしてしか論じられてこなかった恋愛を「片思い」の視点から記述、中世以前の日本文芸では、男の片思いは共感をもって描かれてきたのに対し、徳川時代の文芸ではもてる男が英雄視されるようになり、それが近代になって男の片思い文学が復活したと論じた。
また『江戸幻想批判』では、徳川時代の遊里などを過剰に美化する風潮を批判、また「恋愛」という概念が明治期に輸入されたという説にも、それは徳川時代と比較しての話に過ぎないと論駁した。
また少年期からの歴史好きもあり、純粋な歴史の研究書『間宮林蔵〈隠密説〉の虚実』や、シェークスピアの作品内容と歴史的事実とを比較研究した『リチャード三世は悪人か』なども刊行している。啓蒙書『バカのための読書術』でも、歴史に関する本を読むことの重要性を説いており、歴史的事実をきちんと検証しないまま、現代人の願望を過去に投影して安易に書かれていたり、単なる印象批評であったりする、「比較文化研究」が、刊行・評価されることにいらだっている。
2007年には、自身の恋愛体験を元にした表題作を含む小説集『悲望』を刊行。評論活動と平行して、小説を発表していく意向を示している。
インターネット上ではブログ(「猫を償うに猫をもってせよ」)を運営しており、自己の主張の提示や、他者の論への批判などを活発に行っている。
なお、個人的な趣味としては「古典的なものが好き」で、歌舞伎、落語、相撲などが好き。また、NHKの「大河ドラマ」もマニアックなファンである。音楽ではクラシック、オペラなどが好きであり、「ロックなどという若者向けの音楽を論じて、受けを狙う学者は気にいらない」と語っている。ただし、漫画に関しては、以前、漫画家を志したこともあり、「普通の漫画ファン」であり、「大人漫画など、古い漫画は残念ながら絵柄からして、受け付けない」と語っている。その他、特撮を愛好する一面もある。
また系図マニアでもあり、現代の学者、作家などの係累関係についても、マニアックに押さえている。その趣味は、2007年の著書『日本の有名一族』に結実した。
また、女性の著述家が美人かどうか、男性の著述家が「もてる」人物かどうか、非常に気にかけており、「村上春樹はもてる男だったから、彼の小説の主人公は、実にたやすく女性とセックスができる。こういう小説は個人的に嫌いだ」と述べている。
かつては、「売春反対論者」であったが、自身の経験もあってか(ブログにて「風俗店」に通ったことがあることを、告白している)、現在は「必要悪としての容認論」である。
[編集] 反禁煙家として
反禁煙家であるが、著書「すばらしき愚民社会」において、結婚を考えている相手が嫌煙家だったので、禁煙外来に通院したが禁煙に失敗したとしている。
現在もヘビースモーカーであり、現在の反タバコ運動は「禁煙ファシズム」であると主張し、『禁煙ファシズムと戦う』を共著で出版している。
また、他の連載コラム等において、自らが禁煙のプラットホームで敢えて喫煙し、駅員に注意されるとクレームを付けたり、怒鳴ったりしていることを明らかにし、 鉄道営業法が禁煙の場所での喫煙を罰則の対象としていることを踏まえ、喫煙者を逮捕すればいいと主張している。路上禁煙が禁止されている東京都千代田区の路上で敢えて喫煙して歩きまわったこともあるが、誰にも咎められなかったとも発言している[17]。
JR東日本が一部の列車を除き車内を全面禁煙したことに対して、禁煙措置の取りやめを求めて訴訟を起こしたが、棄却されている。 また、訴状において、自らが神経症であるとの主張をしている。
受動喫煙を問題視する風潮や喫煙規制について、排煙の害を隠蔽しようとする自動車メーカーや石油会社の陰謀だという説を唱えている[18]。
2004年10月15日には、やはり反禁煙家である筒井康隆と東京都千代田区のパレスホテルにて初対面を果たした[17]。このとき小谷野は筒井から愛煙家団体「Go smoking友の会」への参加を求められたが、「嫌煙権とは喧嘩しないという主宰者の方針が気に食わない」との理由によりこの誘いを拒否[17]。小谷野はさらに筒井から喫煙者と嫌煙権論者との公開シンポジウムにも参加するよう誘われたが、「嫌煙権論者は馬鹿ばかりであって、論争するに値いしない」との理由によってこの誘いをも拒否したと筒井に書かれた[17]。ただし小谷野自身は、この時の対面について「私は「嫌煙派とのシンポジウム」を断ったわけではなく、やっても新聞等が報じないだろうし、たとえ嫌煙派が議論で負けても、負けたとかバカだったとかは死んでも報道せず「議論は平行線をたどった」などと書くだけだろうから、ムダだろうと思い、黙っていただけです。なぜ筒井氏ほどの人にそれが分からないのだろう、と思いました」と述べている[19]。
[編集] インターネットでの活動
「匿名批判というのは、基本的に卑怯である」「私を匿名で批判する権利があるのは、たとえば大学で私の授業に出ている学生だけ」と、匿名・本名を公開しない筆名による言論を厳しく批判しており[20]、自らのウェブログにおいては、こうした言論活動を行っている人々の本名を、本人の承諾を得ないまま次々に公開している。
また、日本語版ウィキペディアでは2006年5月23日から利用者:Akoyano(会話 / 履歴 / ログ)というアカウント名で活動しており、禁煙ファシズムの項目における編集合戦を巡って投稿ブロックを受けた際には関係者を「ウィキファシスト」[21]、ウィキペディアを「嘘つきウィキペディア」[21]と呼んで糾弾すると共に、「ウィキペディアなどという、代表者も、連絡先住所も分からないというような団体の「ルール」に従う必要を私はまったく認めない」[22]と発言した。それ以後は匿名のIPユーザーとして活動することも多い。「仮に私の編集停止措置などをとれば、公示送達によって提訴し、日本版ウィキペディアの責任者を引きずり出してやる」[23]と宣言したこともある。
その他、jun-jun1965というIDではてなダイアリーキーワードをたびたび編集している他[24]、Amazon.co.jpでは実名でレビュアーとして活動しているが[25]、元同僚ヨコタ村上孝之の著書『性のプロトコル』に対するレビューの中でヨコタ村上を「大阪にいるセックス系バカ学者の一人」と呼び、同書を「全編これ愚書」「文章が下手」「真っ赤な嘘」「不勉強」等と酷評したため[26]、ヨコタ村上から「同じ学問を修める者に対する最低限の敬意」が欠如していると批判された[27]。
[編集] 著作
[編集] 単著
- 『八犬伝綺想――英米文学と『南総里見八犬伝』』(福武書店、1990年)
- ちくま学芸文庫版には「江戸の二重王権」と「八犬伝の海防思想」の論文二編が追加されている。
- 『夏目漱石を江戸から読む――新しい女と古い男』(中央公論社[中公新書]、1995年)
- 『男であることの困難――恋愛・日本・ジェンダー』(新曜社、1997年)
- 『<男の恋>の文学史』(朝日新聞社[朝日選書]、1997年)
- 『間宮林蔵〈隠密説〉の虚実』(教育出版、1998年)
- 『もてない男――恋愛論を超えて』(筑摩書房[ちくま新書]、1999年)
- 『江戸幻想批判――「江戸の性愛」礼讃論を撃つ』(新曜社、1999年)
- 『恋愛の超克』(角川書店、2000年)
- 『バカのための読書術』(筑摩書房[ちくま新書]、2001年)
- 『軟弱者の言い分』(晶文社、2001年)
- 『片思いの発見』(新潮社、2001年)
- 『退屈論』(弘文堂、2002年)
- 『聖母のいない国』(青土社、2002年)
- 『中庸、ときどきラディカル――新近代主義者宣言』(筑摩書房、2002年)
- 『中学校のシャルパンティエ』(青土社、2003年)
- 『性と愛の日本語講座』(筑摩書房[ちくま新書]、2003年)
- 『反=文藝評論――文壇を遠く離れて』(新曜社、2003年)
- 『俺も女を泣かせてみたい』(筑摩書房、2004年)
- 『すばらしき愚民社会』(新潮社、2004年)(新潮社[新潮文庫]、2007年)
- 『評論家入門――清貧でもいいから物書きになりたい人に』(平凡社[平凡社新書]、2004年)
- 『恋愛の昭和史』(文藝春秋、2005年)
- 『帰ってきたもてない男――女性嫌悪を超えて』(筑摩書房[ちくま新書]、2005年)
- 『なぜ悪人を殺してはいけないのか――反時代的考察』(新曜社、2006年)
- 『谷崎潤一郎伝――堂々たる人生』(中央公論新社、2006年)
- 『新編 軟弱者の言い分』(筑摩書房[ちくま文庫]、2006年)
- 『悲望』(幻冬舎、2007年)
- 『日本売春史――遊行女婦からソープランドまで』(新潮社[新潮選書]、2007年)
- 『日本の有名一族―近代エスタブリッシュメントの系図集』(幻冬舎 [幻冬舎新書]、2007年)
- 『リチャード三世は悪人か』 (NTT出版ライブラリーレゾナント、2007年)
- 『リアリズムの擁護-近現代文学論集』(新曜社、2008年)
- 『猫を償うに猫をもってせよ』(白水社、2008年)
[編集] 共著
- (池田清彦・小浜逸郎・橋爪大三郎・吉田司・井崎正敏・八木秀次)『天皇の戦争責任・再考』(洋泉社[新書y], 2003年)
- (渡部直己・吉本謙次)『綿矢りさのしくみ』(太田出版, 2004年)
- (斎藤貴男・栗原裕一郎)『禁煙ファシズムと戦う』(ベストセラーズ, 2005年)
[編集] 編著
[編集] 訳書
- ウィリアム・シュウェンク・ギルバート『喜歌劇ミカド――19世紀英国人がみた日本』(中央公論新社, 2002年)
- ハロルド・ブルーム『影響の不安――詩の理論のために』(アルヴィ宮本なほ子との共訳、新曜社, 2004年)
- エリザベス・テイラー『エンジェル』(白水社,2007年)
[編集] 小説
- 『悲望』(幻冬舎、2007年)
-
- 「なんとなく、リベラル」(初出『文学界』2007年2月号、『悲望』単行本に所収)
- 「山室なつ子の生涯」(本人のブログに発表。樋口一葉が夭折せず、凡庸な作家として生涯を送ったパラレルワールドの物語)
- 『童貞放浪記』(幻冬舎、2008年)
-
- 「童貞放浪記」(『文学界』2007年10月号)
- 「黒髪の匂う女」上掲書所収、書き下ろし
- 「ミゼラブル・ハイスクール一九七八」上掲書所収、書き下ろし
[編集] 受賞歴
サントリー学芸賞(『聖母のいない国』)、2002年
[編集] 主な批判対象
- 赤松啓介
- 朝倉喬司
- 網野善彦
- フィリップ・アリエス『子供の誕生』
- 内田樹
- 沖浦和光
- 小林秀雄
- 小森陽一
- 佐伯順子 - 「私は若いころから、佐伯順子さんに追いつくことを目標に生きてきた」[28]と語るほどの傾倒ぶりを見せる一方で、佐伯の著書『遊女の文化史』における近世遊女観等に対しては『江戸幻想批判』の中で批判的見解を明らかにしている[29]。その後、小説「黒髪の匂う女」には佐伯と類似したプロフィールを持つヒロイン(吉川玲子)を登場させ、そのヒロインの研究を「『評論』風の、学問的基礎の脆いもの」[30]と批判すると同時に、「その華やかさに憧れていたのも否定できない」[30]とアンビヴァレントな描き方をしている。
- 佐藤優
- 澁谷知美
- ハインリッヒ・シュリーマン
- 田中優子
- 中島岳志
- 中原昌也
- 久木尚志 - 小谷野の高校時代の同級生。小谷野によると「いじめグループの親玉」[31]。「本気で死んで欲しいと思っている」とも小谷野は発言している[31]。小谷野の自伝的小説「ミゼラブル・ハイスクール一九七八」には「高木貴志」の名で登場。
- 広末保
- ジークムント・フロイト
- 松浦寿輝
- 松沢呉一 -「売春合法化」を唱える松沢を、かつて「売春反対論」を唱えていた際に盛んに攻撃していた。
- ジョン・マネー(ジェンダー概念を証明するために、ペニスを失った男児を女の子として育てた実験について:『ブレンダと呼ばれた少年』によりその失敗が明らかになった)
- 三浦俊彦 - 小谷野の大学院の先輩。2001年頃、売買春の是非を巡って小谷野と争い、それ以後絶交に至った。
- 宮台真司
- ヨコタ村上孝之 - 大阪大学言語文化研究科准教授(ロシア語)。比較文学者出身で『色男の研究』の著者。小谷野にとっては大学院の先輩であり、大阪大学時代の同僚でもあるが、その後犬猿の仲となった。小谷野は村上を「軽薄で、助平で、女にもてるという、徳川時代の遊冶郎そのもののような男」[32]と評している他、「学内セクハラをした」[33]、「比較文学会をやめない理由にしたって、学会で出世したいからだ」[33]、「飲酒運転の前歴がある」[34]、平川祐弘に「あからさまなおべっかを使」っている[35]、等の批判をおこなっている。
- 渡辺秀樹 - 大阪大学時代の同僚。神経症で阪大辞職に追い込まれたのは渡辺から受けた恫喝のためであると小谷野は主張している[9]。小説「童貞放浪記」には山口政樹の名で登場。
[編集] 主な論敵
- 絶望書店店主
- 中島義道
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 猫を償うに猫をもってせよ(本人のはてなダイアリー)
- Amazon.co.jp 小谷野敦さんのプロフィール レビュー
[編集] 出典
- ^ a b c d e f g h i 『AERA』2003年8月11日号「<現代の肖像>小谷野敦●比較文学者」。
- ^ 小谷野は『俺も女を泣かせてみたい』p.60(筑摩書房、2004年)で自らを「ワーキング・クラス出身」と位置づけ、「比較的貧しい家の生まれ育ちで、保守の論客になる人というのがいる。福田恆存であり、西部邁であり、渡部昇一であり、谷沢永一である。どうも私は、根っこのところでこういう人達に共感しているところがあるようだ」(同書p.58)と述べている。
- ^ 小谷野敦『バカのための読書術』p.149(ちくま新書、2001年)
- ^ a b c 小谷野敦『評論家入門』p.142(平凡社新書、2004年)
- ^ 小谷野敦『中学校のシャルパンティエ』p.158(青土社、2003年)
- ^ この時の加害者とされる人物は、2006年以降、小谷野のブログで繰り返し実名や個人情報を公開され非難を受けている。一連の経緯については猫を償うに猫をもってせよ 2006-10-15 高校時代のいじめ 2007-06-04 憎まれっ子世にはばかる 猫を償うに猫をもってせよ 2007-06-10 久木尚志の父 猫を償うに猫をもってせよ 2007-06-14 久木尚志、動くに詳しい。
- ^ 小谷野敦『軟弱者の言い分』pp.197-199(晶文社、2001年)
- ^ 小谷野敦『中学校のシャルパンティエ』p.222(青土社、2003年)
- ^ a b c 猫を償うに猫をもってせよ 2006-09-29 阪大辞職顛末
- ^ 小谷野敦『評論家入門』p.154(平凡社新書、2004年)
- ^ 小谷野は大学院時代から「猪口邦子先生のような才色兼備の同業の女性と結婚して、二人で名をあげ、仲良く二人で学会に現れたりして嫉妬まじりの視線を浴びたい、と本気で考えていた」と述べている。学術研究者を妻にしたいという思いは大阪大学に赴任してからも続き、ある晩、喫茶店で孤独な夕食をとった帰りに古書店で猪口夫妻の共著『世界を読む──Book review 1990』(筑摩書房、1990年)を発見した折には、あまりの妬ましさに古本屋の一隅に立ち尽くしたことがあるという。『俺も女を泣かせてみたい』p.29(筑摩書房、2004年)を参照。
- ^ 『週刊文春』2000年3月23日号。
- ^ 小谷野敦『俺も女を泣かせてみたい』p.249(筑摩書房、2004年)
- ^ 『週刊新潮』2007年7月5日号。
- ^ 『婦人公論』2007年10月7日号「"もてない男"との結婚顛末記─ブログでの交際9ヵ月、会って2回目でプロポーズ!─」。
- ^ 小谷野敦『軟弱者の言い分』pp.314-315(晶文社、2001年)
- ^ a b c d 筒井康隆の紫福談 第4回 小谷野敦氏とのファースト・コンタクト
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-05-04 ライターNの「皆さん」
- ^ mixiの小谷野敦コミュでの発言(2004年11月17日)
- ^ 小谷野敦『評論家入門』pp.175-176(平凡社新書、2004年)
- ^ a b 猫を償うに猫をもってせよ 2008-02-27 長谷川三千子先生について
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-03-09 香山リカの新刊
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2007-11-20 やっぱり変だよウィキペディア
- ^ たとえばヨコタ村上孝之や佐伯順子や渡辺秀樹の項目など。
- ^ http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A1M7V5UX5IFYH2/ref=cm_pdp_reviews_see_all/503-3247184-1014337?ie=UTF8&sort%5Fby=MostRecentReview
- ^ このレビューは後にAmazon.co.jpによって全文削除された。猫を償うに猫をもってせよ 2007-06-26 滝川政次郎教授のを参照。
- ^ 品位ある批評を ヨコタ村上孝之
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2007-01-15 教えてgoo症候群
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2006-10-02 渋×知×事件顛末
- ^ a b 小谷野敦『童貞放浪記』p.127(幻冬舎、2008年)
- ^ a b 猫を償うに猫をもってせよ 2007-06-04 憎まれっ子世にはばかる
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2006-08-09 ふまじめな大学教師の肖像
- ^ a b 猫を償うに猫をもってせよ 2008-02-05 怒り炸裂
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-05-02 無題
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2008-05-22 恐るべきレベッカ