海上自衛隊第2術科学校
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海上自衛隊第2術科学校(かいじょうじえいたい だいにじゅつかがっこう、JMSDF 2nd Service School)は、横須賀基地田浦地区(神奈川県横須賀市)に所在している術科学校のひとつ。主として機関科関係、情報、外国語等の教育訓練を担当している。
具体的には、機関、電機、工作、情報、外国語等に必要な知識及び技能を修得させるための教育訓練を行うとともに、これらの術科に関する部隊の運用等に関する調査研究を行う。
目次 |
[編集] 沿革
- 1953年(昭和28年)9月16日 - 横須賀にて「警備隊術科学校」が発足。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 警備隊術科学校が「海上自衛隊術科学校」に改称。
- 1956年(昭和31年)1月16日 - 海上自衛隊術科学校が江田島に移転。機関など一部の教育は引き続き横須賀で行われるため、「海上自衛隊術科学校横須賀分校」が発足。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 海上自衛隊術科学校横須賀分校が「海上自衛隊第2術科学校」に改編。
[編集] 内部組織
- 校長(海将補)
- 副校長
- 総務部
- 教務部
- 教育第1部
- 教育第2部
- 研究部
- 学生隊
- 主任教官(2人)
- 学校教官
- 研究部員
[編集] 学校長
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
警備隊術科学校長 | ||||||
- | 安藤平八郎 | 1953.9.16 - 1954.6.30 | 舞鶴地方総監 →1953.8.16第二幕僚監部附 |
海上自衛隊術科学校長 | 警備監補 | |
海上自衛隊術科学校長 | ||||||
1 | 安藤平八郎 | 1954.7.1 - 1956.1.15 | 警備隊術科学校長 | 海上幕僚監部技術部長 | 1954.9.1 - 19 幹部学校長兼務 |
|
海上自衛隊術科学校横須賀分校長 | ||||||
1 | 大松勝藏 | 1956.1.16 - 1958.1.15 | 第2護衛隊群司令 | 舞鶴地方総監 | ||
2 | 魚住順治 | 1958.1.16 - 1958.3.31 | 幹部候補生学校長 | 第2術科学校長 | ||
海上自衛隊第2術科学校長 | ||||||
1 | 魚住順治 | 1958.4.1 - 1959.4.30 | 術科学校横須賀分校長 | 調達実施本部検査担当副本部長 | ||
2 | 石黒進 | 1959.5.1 - 1959.12.9 | 海上幕僚監部技術部副部長 | 練習隊群司令 | ||
3 | 赤堀次郎 | 1959.12.10 - 1960.8.31 | 海兵55期・海大37期 | 練習隊群司令 | 呉地方総監 | |
4 | 續平 | 1960.9.1 - | 海機40期 | 幹部候補生学校長 | ||
河野克次 | - 1962.3.31 | 横須賀地方総監部付 →1962.7.1海将補・退職 |
1等海佐 | |||
武市義雄 | 1962.4.1 - 1962.6.16 | 大湊地方総監 →1962.1.16幹部学校付 |
退職 | |||
山本益彦 | 1962.6.16 - 1963.10.15 | 調達実施本部副本部長 | 海上幕僚監部付 →1963.12.31退職 |
|||
入谷清明 | 1963.10.16 - | 第2術科学校副校長兼総務部長 | 就任時1等海佐 1964.1.1海将補 |
|||
浜口玄吉 | - 1970.6.30 | 舞鶴地方総監 | ||||
秋澤巌 | 退職 | |||||
新田雅敏 | 1994.7.1 - | 第4護衛隊群司令 | ||||
河村嘉宏 | 1999.3.29 - 2001.1.11 | 防大11期 | 情報本部情報官 | 退職 | ||
河邉博 | 2001.1.11 - 2002.12.2 | 情報本部情報官 | 退職 →2003.2.1富士電機顧問 |
|||
初谷龍夫 | 2002.12.2 - 2005.1.12 | 早稲田大 | 統合幕僚会議事務局第1幕僚室総務運営調整官 | 退職 →2005.3.1川崎重工業顧問 |
||
長谷川洋 | 2005.1.12 - 2007.3.27 | 防大18期 | 情報本部情報官 | 第1術科学校長 | ||
竹口健二 | 2007.3.28 - | 防大19期 | 舞鶴地方総監部幕僚長 |