河口俊彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
河口 俊彦(かわぐち としひこ、1936年11月23日 - )は、将棋棋士。2002年、引退。将棋ライター。神奈川県横須賀市出身。小堀清一九段門下。棋士番号95。
目次 |
[編集] 人物
- 奨励会に16年在籍し、30歳でようやく四段に昇段しプロ棋士となった。これを機に奨励会在籍に年齢制限が設けられたこともあり、長い間ワースト記録となっていた(奨励会の在籍年数は、1992年に伊藤能の17年という新記録がこれを超えた)。
- 将棋観戦記、エッセーなどで活躍。一般に報道されない日々の対局の模様を将棋棋士の生きかたを含めて活き活きと描いた「対局日誌」をペンネーム・川口篤(当時)で「将棋マガジン」誌に1978年2月の創刊号から連載を開始し注目される。その後、いったん連載を中止するが、「将棋世界」誌に1995年1月から「新・対局日誌」として再度掲載、2006年7月号まで30年近くにわたる連載となった。
- 2002年3月に現役を引退し、将棋関係の著述に専念。棋士や将棋記者からは「老師」と呼ばれることがある。
- 将棋の著述活動の功績により引退後に将棋大賞(東京記者会賞)を受賞している。また大山康晴と周辺の人物を描いた「大山康晴の晩節」は将棋ペンクラブ大賞を受賞した。
- 棋士として目立った棋歴は残していないが、難関といわれた 十段戦の予選準決勝まで進んだことが2回ある(第14期、第18期)。
- 趣味は囲碁で、真部一男によると将棋界でもかなりの打ち手とされている。アマチュアの神奈川県代表となったこともある(ちなみに囲碁の強い棋士としては他にも、花村元司、大山康晴、升田幸三、北村文男、丸田祐三、二上達也、らが挙げられるが現役では土佐浩司くらいであり、近年は若手で打つ人は少ないとされる。また、当の真部も2007年急逝。)。
[編集] 昇段履歴
- 1951年 6級 = 奨励会入会
- 1956年 初段
- 1966年10月1日 - 四段 = プロ入り
- 1973年11月3日 - 五段(贈五段 : 表彰感謝の日表彰)
- 1984年4月1日 - 六段(勝数規定)
- 2000年4月1日 - 七段(フリークラス規定)
- 2002年3月31日 - 引退
[編集] 主な成績
- 通算成績 367勝563敗
[編集] 将棋大賞
- 第32回(2004年度) 東京記者会賞
[編集] その他
- 1991年 現役勤続25年表彰
- 第15回(2002年度) 将棋ペンクラブ大賞を「大山康晴の晩節」で受賞
[編集] 著書
- 一局の将棋一回の人生(1990年8月、新潮社、ISBN 4-10-377201-8)
- 人生の棋譜 この一局(1996年1月、新潮社、ISBN 4-10-377202-6)
- 勝ち将棋鬼のごとし(1982年10月、力富書房、ISBN 4-89776-004-6)
- 将棋界奇々快々(1993年7月、日本放送出版協会、ISBN 4-14-080116-6)
- 覇者の一手(1995年5月、日本放送出版協会、ISBN 4-14-080224-3)
- 新・対局日誌(全八集、河出書房新社、ISBN 4-309-61431-0ほか)
- 大山康晴の晩節(2003年3月、飛鳥新社、ISBN 4-87031-542-4)
- 月下の棋士(コミック:全32巻、コミック文庫:全20巻、能條純一著・河口俊彦監修、小学館、ISBN 4-09-183321-7ほか)