沢村貞子
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沢村 貞子(さわむら さだこ、1908年(明治41年)11月11日 - 1996年(平成8年)8月16日)は俳優、随筆家。東京市浅草区生まれ。本名、大橋貞子(おおはし ていこ)。
[編集] 来歴・人物
狂言作者・竹芝伝蔵の次女として生まれた。兄は俳優の沢村国太郎、弟も俳優の加東大介で、沢村国太郎の二人の息子で彼女からは甥にあたる長門裕之、津川雅彦も俳優である。
府立第一高等女学校(現東京都立白鴎高等学校)卒業後、日本女子大学師範家政学部を経て、日活太秦現代劇部に入社。小津安二郎監督作品などで名脇役として活躍し、生涯で100本を越す映画に出演した。1956年、映画「赤線地帯」で毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。1996年には日本アカデミー賞会長特別賞を受賞した。
エッセイストとしても数多くの著作を世に出している。特に1977年に発表した自伝的随筆『私の浅草』は下町の風情を生き生きと綴りあげた名著と評価が高い。この作品は第25回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、『貝のうた』とともにNHK朝の連続テレビ小説「おていちゃん」の原作となった。
立ち上がるとき「どっこいしょ」といったことに衰えを感じ女優を引退。横須賀市に隠居。毎日湘南の海を望遠鏡で眺めて過ごす。
1996年8月16日、心不全のため死去。享年87。本人の遺志により、葬儀では身内だけで納棺式を行い荼毘にふした後、遺骨は夫・大橋恭彦の遺骨とともに相模湾に散骨された。
[編集] 主な出演映画
- 破れ太鼓(1949年)
- 真珠夫人(1950年)
- 西鶴一代女(ヴェネチア国際映画祭国際賞受賞作品。1952年)
- おかあさん(1952年)
- 若い人(原作:石坂洋次郎。1952年)
- 晩菊(1954年)
- 黒い潮(1954年)
- 潮騒(原作:三島由紀夫。1954年)
- ここに泉あり(1955年)
- ジャンケン娘(1955年)
- 赤線地帯(1956年)
- 太陽とバラ (1956年)
- 日日の背信(1958年)
- 裸の大将(1958年)
- お早よう Good Morning (監督:小津安二郎。1959年)
- 氾濫(1959年)
- 女が階段を上る時(1960年)
- 秋日和 Late Autumn (監督:小津安二郎。1960年)
- 飼育(監督:大島渚。1961年)
- あの橋の畔で(1962年)
- 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年)
- 無法松の一生(1963年)
- クレージー作戦 先手必勝(1963年)
- あの橋の畔で 完結篇(1963年)
- 甘い汗(1964年)
- うず潮(1964年)
- 飢餓海峡(1964年)
- 波影(1965年)
- 雪国(原作:川端康成。1965年)
- 空いっぱいの涙(1966年)
- あこがれ(1966年)
- さよなら列車(1966年)