汽車 (歌曲)
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『汽車』(きしゃ)は、童謡。文部省唱歌。作詞は不明、作曲は大和田愛羅。汽車(蒸気機関車が牽引する客車列車)がさまざまな場所を通り抜け、その目まぐるしい変化の面白さを歌っている。1912年(明治45年)に刊行された『尋常小学唱歌 第三学年用』が初出。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた。
西日本旅客鉄道岡山支社管内の一部の駅の接近メロディーとして使用されている。
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[編集] 歌詞
- 今は山中 今は浜
今は鉄橋渡るぞと
思う間も無く トンネルの
闇を通って広野原(ひろのはら) - 遠くに見える村の屋根
近くに見える町の軒(のき)
森や林や田や畑(はたけ)
後(あと)へ後へと飛んで行く - 廻(まわ)り灯籠(どうろう)の画(え)の様に
変わる景色のおもしろさ
見とれてそれと知らぬ間に
早くも過ぎる幾十里
[編集] 歌詞についての誤解
常磐線広野駅にはこの曲の歌碑が設置されている。これは「歌詞の「広野原」は「広い野原」という普通名詞の意味のほかに、福島県双葉郡広野町を指す「広野原」という地名の意味も含まれている」という説が信じられているためである。町のホームページでは「常磐線開通の際、大和田建樹が作詞したと言われている」と紹介されている。この説は広く信じられていてマスコミやインターネット上でも喧伝されている。しかし、読売新聞の取材で「広野原=広野町説」は根拠のない俗説であることが明らかになった。記録では建樹が乗ったのは久ノ浜駅までで広野駅まで行った事実はない。次に『汽車』は作詞者不詳扱いである。大和田建樹の作品群は明確であり、不詳扱いの作がある可能性は薄い。さらに大和田建樹よりも可能性の高い別の人物がいる。東芝EMI元社長の乙骨剛は「叔父の乙骨三郎が家族に自分が作詞したことを明かしていた」と証言している。昭和女子大学の『近代文学研究叢書37巻』(1973年)でも『汽車』は乙骨の作詞と認めている。そして乙骨と広野町の関係はまったく不明である。以上のことから読売新聞は、この曲と広野町はほぼ無関係であるとしている。
[編集] 参考文献
読売新聞文化部『愛唱歌ものがたり』岩波書店刊 ISBN 4-00-022012-8