水無瀬親具
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水無瀬 親具(みなせ ちかとも、天文21年(1552年) - 寛永8年12月24日(1632年2月14日))は、安土桃山時代の公家。藤原北家長良流高倉家の出身。権大納言高倉永家の次男。正二位権中納言水無瀬兼成の養子になった。一斎と号した。
左近権中将だったが、養父水無瀬兼成に実子水無瀬氏成が生まれたため養家との関係が悪化。文禄4年(1595年)氏成を立てようと企てた兼成の家人に毒殺されそうになったため、親具はその家人を殺して徳川家康に訴え、結果的に養家と義絶して出家した。寛永8年(1631年)12月24日、80歳で卒去。
室に中条持胤女(後北条氏遺臣)らがおり、子に堀河康胤(堀河家の祖)・樋口信孝(樋口家の祖)・女子(江戸城大奥女中)がいた。