気多神社
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気多神社 | |
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所在地 | 富山県高岡市伏木一ノ宮字大平2063 |
主祭神 | 大己貴命 奴奈加波比売命 |
社格等 | 式内社(名神大)・越中国一宮・県社 |
創建 | 伝養老2年(718年) |
本殿の様式 | 三間社流造 |
例祭 | 4月18日 |
気多神社(けたじんじゃ)は、富山県高岡市伏木にある神社である。式内社(名神大)で、旧社格は県社。
大己貴命と奴奈加波比売命を主祭神とし、相殿に菊理姫命と事代主命を祀る。
目次 |
[編集] 歴史
高岡市伏木は越中国国府や国分寺のあった地で、越中の中心地であった。当社は越中国一宮とされ、所在地の地名も「一ノ宮」であるが、越中国内には一宮を称する神社がほかに3社ある。境内には越中国総社跡の伝承地がある。
天平宝字元年(757年)に越中国から能登国を分立する際、それまで越中の一宮とされていた気多大社から越中国府の近くに勧請を受けて創建された。それより前の養老2年(718年)に行基により創建されたとする伝承もある。
延喜式神名帳では名神大社とされているが、当社ではなく射水神社(当時は現在の高岡市二上にあった)を名神大社とする写本もある。白山比咩神社の社伝『白山記』には、二上(射水神社)と新気多(気多神社)が勢力争いをし、新気多が勝って一宮となったという記述がある。名神大社についても争いがあったものと考えられる。
天文年間(1532年 - 1555年)に上杉謙信の兵火で焼失し、永禄年間(1558年 - 1570年)に再建された。現在の社殿はそのときのものと伝えられ、本殿は国の重要文化財に指定されている。
[編集] 祭事
毎年4月18日に気多神社奉賛会と一宮青年団[1]によって春季例大祭が行われている。
[編集] 大伴神社
本殿横に、国司として越中に赴任した大伴家持を祀る大伴神社がある。家持の歿後1200年に当たる昭和60年(1985年)に、地元の有志による大伴家持卿顕彰会によって創建されたものである。家持には遺骨・遺品が遺されていないため、生誕の地である奈良、越中国庁跡、越中国守館跡、最期の地である多賀城、遺骨が流された地である隠岐の5か所の土を壺に入れたものを神体としている。