武藤運十郎
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武藤 運十郎(むとう うんじゅうろう、1902年1月 - 1997年4月8日)は、昭和時代の日本の政治家・弁護士(法学博士)。元衆議院議員(旧群馬3区選出)。日本社会党所属。社会党左派の論客として名をはせた。衆議院不当財産取引調査特別委員会委員長などの要職を歴任。愛称は「運ちゃん」。群馬県立高崎中学(群馬県立高崎高等学校)から早稲田大学法学部卒。
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[編集] 略歴
- 1902年1月 群馬県碓氷郡に生まれる
- 1927年 早稲田大学法科を卒業、弁護士開業
- 1946年 衆議院議員に初当選
- 1948年 国会でハンセン氏病の問題を取り上げる
- 1954年 社会党代議士会長に抜擢される
- 1958年 衆議院議員選挙で落選
- 1997年4月8日 逝去
[編集] 主な役職
- 東京弁護士会常議員
- 全日本借家人組合中央執行委員会委員長
- 日本農民組合財務委員
[編集] 日本社会党での主な役職
- 社会党常任中央委員
- 社会党住宅対策特別委員長
- 社会党資金局長
- 社会党青年婦人局長
- 社会党代議士会会長
- 社会党衆参両院議員総会長
- 社会党常統制委員
- 社会党法制調査委員
[編集] 著書・論文
- 『家庭法律社』(1935年)
- 『借家法讀本』(家庭法律社、1936年)
- 『人事調停法の解説と手續』(家庭法律社、1939年)
- 『日本不動産利用権史論』(巌松堂、1947年)
- 『家主と如何に戦ふべきか』
- 『明るい政治』(高崎高校同窓会報 第1号、1952年)
- 『自叙小伝 武藤運十郎-ある人生・妻と共に五拾年』(家庭法律社、1979年)
[編集] エピソード
- 1948年11月27日、衆議院厚生委員会で、国民癩療養所の施設・生活改善に関する問題を取り上げて質問を行った。早くからハンセン氏病の問題の解消に尽力した
- 加藤勘十の後継として衆議院不当財産取引調査特別委員長を務め、「土建献金事件」などを告発。民主党政権退陣の引き金になり、西尾末広を落選に追い込んだ。そのため、いわゆるインテリ層に人気があった
- 社会党左派五月会結成に鈴木茂三郎、加藤勘十、稲村順三、赤松勇らと参画
- 1958年、「特二等問題」を引き起こす。(武藤が衆議院議員の地位を濫用して、国鉄の席を独り占めしたという事件。当時、地元では上毛新聞が記事にするなど新聞沙汰になった)
- 事件直後の衆議院議員選挙において、事件の影響が大きく次点で落選した。