武井夕庵
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武井 夕庵(たけい ゆうあん、生没年不詳)は、戦国時代の武将、茶人。諱は助直(すけなお)。名の読みはせきあんとも。官位は肥後守、二位法印、爾云、妙云。
美濃土岐氏、斎藤氏に、道三、義龍、龍興まで三代に渡り仕える。斎藤氏の滅亡後、織田信長に仕え右筆となる。秘書として信長そば近くに仕え、内政面だけではなく、外交面でも武田信玄、特に毛利家との友好関係のため小早川隆景、吉川元春らとの折衝にあたるなど、信長に重用され、活躍した。
天正4年(1576年)1月安土城築城に着手、2月23日に信長は安土に移る。天正7年(1579年)、安土城が完成した。夕庵の邸宅は森成利(蘭丸)、織田信澄、織田信忠に次ぐ場所にあることからも、夕庵がいかに信長から信頼されていたかがうかがえる。また、天正6年(1578年)元旦、安土城での茶会において、織田信忠に次ぐ席次であったと伝わる(『信長公記』)。
天正9年(1581年)の京都御馬揃えに参加した時は70余歳であったという。天正13年(1585年)頃までの存命が確認できるが、その後の消息は不明。