櫛笥隆韶
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櫛笥 隆韶(くしげ たかつぐ、文政6年4月5日(1823年5月15日) - 明治7年(1874年)1月15日)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけての公卿。藤原北家末茂流。右近衛権中将櫛笥隆起の長男。正室は土御門晴親の娘。養子に櫛笥隆義(阿野公誠の子)がいる。従三位右近衛権中将。
安政5年(1858年)日米修好通商条約の勅許に反対して廷臣88人の列参に加わる(廷臣八十八卿列参事件)。慶応2年(1866年)中御門経之ら廷臣22人の列参に加わり朝政改革などを建議し、処分を受けた(廷臣二十二卿列参事件)。明治7年(1874年)1月15日、52歳で薨去。
[編集] 参考文献
- 小和田哲男『日本史諸家系図人名辞典』講談社、2003年
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年