桂梅團治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
桂 梅團治(かつら うめだんじ)は、上方落語の名跡。梅団治とも表記する。当代は4代目。初代以前にも別の梅團治がいたとされるが、詳細は不明。
目次 |
[編集] 初代
初代 桂梅團治(1858年 - 1904年11月28日)は、本名: 菅井友二郎。享年46。
初め桂梅丸の門下だったが、名は不明。後に2代目桂文團治(後の7代目桂文治)の門下に移り、梅團治を名乗る。
元は煙草入れを作る職人だったと言う。三友派に属し地味ではあるが篤実な芸風であったと伝える。一時期、同門の桂篤團治(後の桂家雁篤)と軽口のコンビを組み活躍したが、晩年は再び落語に復帰した。十八番は『稽古屋』『田楽食い』『乙女狐』など。
妻は初代桂文我の姪で、「おこま」という名であったという。
[編集] 2代目
2代目 桂梅團治(生没年不詳)は、本名、享年とも不詳。
初め2代目桂文昇の養子となり、文之助(大名跡の桂文之助とは異なる)、明治の末期に米昇を名乗る。1922年1月、2代目桂文團治(後の7代目桂文治)の門下に移り、2代目梅團治を襲名。
主に神戸の寄席で活躍し、「出歯の米昇」のあだ名で親しまれていた。十八番は『ふたなり』『人形買い』など。
純大阪の達者な語り口であった。
1940年には既に故人となっている。
[編集] 3代目
3代目 桂梅團治(1895年10月3日 - 1964年3月31日)は、本名: 小河真之介。享年69。
初代桂文我の門下で我蝶、初代桂春團治の門下で我團治などを経て、3代目梅團治を襲名。後、東京に移り、6代目三遊亭圓生の門下で2代目三遊亭百生を襲名。
[編集] 4代目
4代目 桂梅團治(1957年7月17日 - )は、本名: 大崎誠。
3代目桂春團治の門下。前名は桂春秋(はるあき)。長男は子役のかつら小梅。所属事務所は松竹芸能。
[編集] 出典
- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年) - 2代目梅團治を三遊亭百生の前名としているが、明らかな誤り。
- 『桂春団治』(富士正晴著)
- 『ご存じ古今東西噺家紳士録』(CD-ROM、APP、2005年)