栗橋城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栗橋城 (茨城県) |
|
---|---|
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不詳 |
築城年 | 不詳 |
主な城主 | 小笠原秀政 |
廃城年 | 1590年 |
遺構 | 堀 |
指定文化財 | なし |
再建造物 | なし |
栗橋城(くりはしじょう)は、鎌倉公方・古河公方にゆかりある下総国猿島郡の城である。茨城県猿島郡五霞町元栗橋地内、法宣寺の北西に位置する。
[編集] 歴史
後に権現堂川(現在の行幸湖)を掘ったため、現在の城跡は五霞町と埼玉県栗橋町にまたがり2つに分かれている。当時は、北方に若宮八幡、愛宕権現を祭る社があり、付近には七曲がりと称せられた堀が現存している。
豊臣秀吉の関東平定後、小笠原秀政が封じられたが、間もなく古河城に居城を移したために廃城となった。