板沢峰生
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板沢 峰生(いたざわ みねお、1961年7月4日 - 1980年12月3日)は、千葉県流山市生まれの元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは遊撃手。背番号59。
[編集] 来歴・人物
1978年、我孫子高校2年の時、当時1年生であった和田豊と三遊間を組んで甲子園に出場。1979年、ドラフト外でチームメイトの仲野和男外野手と共に、西武ライオンズに入団。1年目の1980年、イースタン・リーグで打率.238、2本塁打、9打点の成績を残し、守備でも堅実なフィールディングを見せ注目されていた。
同年12月3日、実家である流山市に帰省中、急性心不全の為に逝去。将来を嘱望されていた若手現役選手の突然の死に、西武は1981年以降1989年に至るまでの9年間、背番号59を欠番とした。
[編集] 関連項目
- 千葉県出身の人物一覧
- 根本陸夫
- 久保寺雄二(板沢と同様、帰省中に急性心不全で急逝)