板倉勝武
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板倉 勝武(いたくら かつたけ、1736年2月1日(享保20年12月20日) - 1769年6月30日(明和6年5月27日))は、備中松山藩の第2代藩主。父は初代藩主・板倉勝澄(勝武は長男)。母は根津氏。正室は脇坂安興の娘・宝勝院。側室は市場氏。子に娘(板倉勝志室)、娘(山内豊泰室)。官位は従五位下、美濃守。
享保20年(1735年)12月20日生まれ。宝暦元年(1751年)9月23日、父の隠居により家督を継ぐ。明和元年(1764年)に奏者番となったが、明和5年(1768年)に病を理由に辞任し、翌年5月27日、父が死去してわずか24日後に後を追うように死去した。享年35。後を弟の板倉勝従が継いだ。法号は大光院殿普照源海大居士。
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