松田元
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松田 元(まつだ はじめ、1951年-)はプロ野球・広島東洋カープオーナー。広島県広島市中区出身。
曾祖父はマツダ創業者にしてマツダ2代目社長の松田重次郎、祖父はマツダ3代目社長の松田恒次、父はマツダ4代目社長の松田耕平。ちなみに、祖父・恒次、父・耕平と3代続けてカープオーナーである。
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[編集] 来歴・人物
松田耕平の長男として広島で生まれる。広島大学附属高校卒業後、慶應義塾大学へ入学。1973年に大学卒業、その後アメリカ留学を経て1977年に東洋工業(現・マツダ)に入社した。ちなみに、同年に父・耕平は社長から会長に退いている。
1982年に東洋工業を退社。1983年、広島東洋カープの取締役に就任。1985年、オーナー代行。前オーナーである父・耕平の死去を受けて、2002年7月から現職のオーナーを務める[1]。
「広島に球団を残すことが私の使命である」と常々公言しており、前オーナーである父・耕平が示した球団経営方針である、FA選手に手を出さない、監督・コーチは生え抜きに拘る等、を守っている。 2007年オフ早々、「勝率5割をクリアすることを念頭にチーム構成を考えている。」と発言した[2]が、これについても前オーナーが生前から唱えていたもの[3]である。
スカウティングにも自ら乗り出すケースが多くみられる。過去にはオーナーの裁量で入団を果たし実際に活躍する選手もいる一方で、スカウトの仕事の領分に口を挟むべきではないとの批判もある。
他球団から移籍した選手が、「オーナーと初めて直に話ができた」と感激のコメントを残したり、キャンプ地の訪問や2軍戦を頻繁に観戦したりするなど、常に若手のチェックを行っている。
2006年11月、広島市民球場に代わる新球場の建設予定地で清掃作業を行っていたファンに気さくに話しかけ、その後他の住人を巻き込んで野球談義で盛り上がる姿が目撃されているなど、選手やファンと距離が近く、親しみやすいオーナーとして評価されている。
[編集] 脚注
- ^ 2004年現在、筆頭株主はマツダで34.2%、次は松田元の20.4%、後はマツダとマツダの関連会社と松田家の親族で固められており、株主数は9人である[1]。
- ^ 中国新聞より[2]。
- ^ 「5割ラインを確保して、13、14勝の上積みを目指す」(中国新聞より[3])。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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