松平直温 (母里藩主)
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 文政13年3月24日(1830年4月16日) | |||
死没 | 安政3年9月21日(1856年10月19日) | |||
別名 | 誠之進、敬之進(幼名) | |||
戒名 | 一鏡院 | |||
墓所 | 東京都港区虎ノ門の天徳寺 | |||
官位 | 従五位下、志摩守 | |||
藩 | 出雲母里藩主 | |||
氏族 | 越前松平家 | |||
父母 | 父:松平斉孝、母:中西氏 養父:松平直興 |
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兄弟 | 松平慶倫、松平信道、松平直温、 松平定安 |
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妻 | 正室:松平直興の長女、側室:吉村氏 | |||
子 | 松平直哉(長男) | |||
特記 事項 |
名は「なおはる」ともいわれる |
松平 直温(まつだいら なおより)は、出雲母里藩の第9代藩主。直政系越前松平家母里藩分家9代。
文政13年(1830年)3月24日、美作津山藩の第7代藩主・松平斉孝の五男として生まれる。天保11年(1840年)4月26日、母里藩の第8代藩主・松平直興の婿養子となる。天保14年(1843年)9月13日、直興が病気により隠居したため、家督を継いで第9代藩主となる。
安政3年(1856年)9月21日に死去。享年27。後を長男・直哉が継いだ。
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