松平定和
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松平 定和(まつだいら さだかず、文化9年8月18日(1812年9月23日) - 天保12年6月22日(1841年8月8日))は、伊勢国桑名藩の第2代藩主。定綱系久松松平家11代。
初代藩主・松平定永の次男で、寛政の改革で有名な老中・松平定信の孫。母は蜂須賀治昭の娘・綱(順承院)。婚約者は徳川斉匡の娘・猗姫、正室は島津重豪の娘・孝姫。子に松平定猷(長男)、豊子(黒田長知正室)。官位は従四位下、越中守、左少将。
文化9年(1812年)8月18日生まれ。幼名は寧太郎。天保9年(1838年)に父・定永の死去により藩主となる。天保12年(1841年)6月22日に死去し、後を長男の定猷が継いだ。墓所:三重県桑名市大字東方の照源寺。
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