松平光則
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時代 | 江戸時代後期から明治時代 | |||
生誕 | 文政11年7月7日(1828年8月17日) | |||
死没 | 明治25年(1892年)12月30日 | |||
別名 | 初名:光映 | |||
官位 | 従五位下、弾正少弼、丹波守、子爵 | |||
藩 | 信濃松本藩主 | |||
氏族 | 戸田松平氏 | |||
父母 | 父:松平光庸、母:側室吉野氏 | |||
兄弟 | 小笠原長国、松平光則、内藤政恒 | |||
妻 | 正室:溝口直諒の娘・重 | |||
子 | 戸田康泰(長男)、戸田氏懿(三男)、 戸田光祐(四男)、娘(戸田忠恕正室)、 娘(桜井松平忠興正室)、娘(相馬誠胤正室)、 娘(小笠原貞孚正室)、娘(石川重之正室) |
松平 光則(まつだいら みつひさ)は、信濃松本藩の第9代(最後の)藩主。戸田松平家14代。
文政11年(1828年)、8代藩主・松平光庸の次男として生まれる。弘化2年(1845年)、父・光庸が隠居したため家督を相続した。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では藩論が佐幕・勤皇に二分したが、新政府軍の松本到着直前に勤皇に決した。その後、北越戦争や会津戦争に参戦。戦功により翌年に賞典禄3000石を下賜された。同年、版籍奉還で松本藩知事となる。明治4年(1871年)、廃藩置県で免官。太政官布告で源姓松平氏・葵紋を返上し、戸田氏に復姓した。明治17年(1884年)、華族令により子爵に叙任。明治25年(1892年)没した。
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