松平信彰
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 天明2年11月5日(1782年12月9日) | |||
死没 | 享和2年9月21日(1802年10月17日) | |||
別名 | 金次郎、又七郎(幼名) | |||
墓所 | 京都府亀岡市の光忠寺 | |||
戒名 | 俊徳院殿高誉賢勝男哲大居士 | |||
官位 | 従五位下、紀伊守 | |||
藩 | 丹波亀山藩主 | |||
氏族 | 形原松平家 | |||
父母 | 父:松平信道 | |||
妻 | 正室:松平忠告の娘 | |||
子 | 養子:松平信志 |
松平 信彰(まつだいら のぶたか)は、丹波亀山藩の第4代藩主。丹波亀山藩形原松平家9代。
天明2年(1782年)11月5日、第3代藩主・松平信道の長男として丹波亀山で生まれる。寛政3年(1791年)、父の死去により家督を継いで第4代藩主となる。寛政8年(1796年)12月、従五位下・紀伊守に叙任される。
享和2年(1802年)9月21日(9月18日、9月20日とも)に死去。享年21。後を養子の松平信志が継いだ。
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