松平乗紀
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時代 | 江戸時代前期から中期 | |||
生誕 | 延宝2年(1674年) | |||
死没 | 享保元年12月25日(1717年2月6日) | |||
別名 | 吉十郎(幼名)、石川乗紀(改姓前) | |||
墓所 | 東京都台東区上野の春性院 岐阜県恵那市の乗政寺 |
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戒名 | 龍玄院雲巌悟心 | |||
官位 | 従五位下、美作守、兵庫頭、能登守 | |||
幕府 | 江戸幕府奏者番 | |||
藩 | 信濃小諸藩主→美濃岩村藩主 | |||
氏族 | 大給松平氏 | |||
父母 | 父:松平乗政、母:丹羽瀬氏 養母:岩城重隆の娘 |
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妻 | 正室:朽木稙昌の娘・お久(宝光院) | |||
子 | 松平乗賢(長男)、吉三郎、松平致乗(三男)、 田宮、朽木玄綱(五男)、亀之助、 水谷建英(七男)、娘(阿部正鎮正室)、 娘(松平義堯養女)、娘(知久久徹室) |
松平 乗紀(まつだいら のりただ)は、信濃小諸藩の第2代藩主。後に美濃岩村藩の初代藩主となる。岩村藩大給松平家2代。元の名は石川 乗紀(いしかわ のりただ)。
延宝2年(1674年)、信濃小諸藩の初代藩主・松平乗政(=石川乗政、美濃岩村藩の第2代藩主・松平乗寿の次男)の長男として生まれる。貞享元年(1684年)、父の死去により家督を継いで小諸藩の第2代藩主となる。元禄15年(1702年)9月7日、美濃岩村藩に移封され、12月に奏者番に任じられた。
元禄16年(1703年)6月22日、姓を石川から松平に復し、兵庫頭に任官される。藩政では文武を奨励し、美濃国内では西の大垣藩と並んで文化の中心地として発展した。享保元年(1716年)12月25日、江戸で死去した。享年43。後を長男の乗賢が継いだ。
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