松平乗秩
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時代 | 江戸時代後期から明治時代 | |||
生誕 | 天保10年5月13日(1839年6月23日) | |||
死没 | 明治6年(1873年)6月3日 | |||
別名 | 刹太郎、源次郎(幼名) | |||
墓所 | 東京都港区虎ノ門の天徳寺 | |||
戒名 | 源泉院殿 | |||
官位 | 従五位下、主水正、和泉守 | |||
幕府 | 江戸幕府奏者番・寺社奉行 | |||
藩 | 三河西尾藩主 | |||
氏族 | 大給松平家 | |||
父母 | 父:松平乗寛、母:伊東氏(仙松院) 養父:松平乗全 |
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兄弟 | 松平乗全、牧野忠衛、牧野忠恭、 松平乗秩 |
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妻 | 正室:戸田氏正の娘・キン(玉泉院) | |||
子 | 娘(水野忠宝正室)、養子:松平乗承 |
松平 乗秩(まつだいら のりつね)は、三河西尾藩の第5代(最後の)藩主。大給松平家宗家10代。
天保10年(1839年)5月13日、第3代藩主・松平乗寛の四男として生まれる。父は乗秩が生まれた年に死去し、兄の乗全が後を継いでいたが、文久2年(1862年)11月23日に乗全も幕府から隠居を命じられたため、兄の養子として家督を継いで第5代藩主となる。
元治元年(1864年)には奏者番に任じられる。慶応2年(1866年)には寺社奉行に任じられ、直後の第2次長州征伐にも幕府軍の一員として参加し、第14代将軍・徳川家茂の死去により出兵が中止になると、大坂の警護を務めた。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、譜代大名の名門のために佐幕派と尊王派が争った末に新政府に与し、2月には上京して京都警護を務めた。
明治2年(1869年)6月19日、版籍奉還により西尾藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で藩知事を免官された。その後、明治6年(1873年)6月3日に死去。享年35。
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