東光寺 (萩市)
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東光寺(とうこうじ)は山口県萩市にある黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院である。山号は護国山。
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[編集] 歴史
吉田松陰誕生地近くの萩市大字椿東字椎原にあり、元禄4年(1691年)萩藩三代藩主毛利吉就(よしなり)(1668-1694)が建立した。吉就は若くして黄檗宗に帰依して、本山黄檗万福寺に範を求めて広壮な堂を建立。萩出身の高僧慧極道明禅師を開山に迎えた。吉就の没後、ここを墓所とし毛利氏の菩提寺となった。
[編集] 伽藍
中国の明時代の末から清時代の末にかけての黄檗伽藍様式。伽藍の配置は龍の形を表したものと伝えられる。元禄6年(1693年)頃建立の総門、元禄7年(1694年)頃建立の鐘楼、元禄11年(1698年)建立の大雄宝殿、文化9年(1812年)建立の三門の4棟の建造物が重要文化財に指定されている。
[編集] 毛利氏廟所
萩藩主3代毛利吉就、5代吉元、7代重就、9代斉房、11代斉元の奇数代の藩主の5基と、それぞれの夫人の合計10基の他、側室など近親者20余基がある。また、重臣諸家の献上した石灯籠500基が並んでいる。ちなみに初代秀就と偶数代の藩主は萩市の大照院に廟所がある。秀就の父輝元の廟所は萩市の天樹院跡にある。
※萩での藩主の代数は輝元を初代とせず、秀就を初代として数えている。
[編集] 元治甲子殉難烈士墓所
元治元年(1864年)、京都の禁門の変により幕府への謝罪の為、岩国で自刃した福原越後(1815-1864 50歳)、徳山で自刃した益田右衛門介(1833-1864 32歳)、国司信濃(1842-1864 23歳)の3家老。
反対派により萩野山獄で処刑された宍戸左馬介(61歳)、山田亦介(55歳)、前田孫右衛門(47歳)、竹内正兵衛(46歳)、毛利登人(44歳)、松島剛蔵(1825-1865 40歳)、中村九郎(37歳)、佐久間左兵衛(32歳)、大和弥八郎(国之助1835-1864 30歳)、長嶺内蔵太(渡辺内蔵太 29歳)、楢崎弥八郎(28歳)ら十一烈士。
俗論党のために萩で自刃を命ぜられた清水清太郎(22歳)。幕府の萩征伐の起因の責任を感じて山口で自刃した周布政之助(1823~1864 42歳)。これら身をもって難に殉じた藩士のために明治29年(1896年)に建てられた慰霊墓所。
この他、選鋒隊によって暗殺された藩主の使者3名、桜井三木三(みきぞう、36歳)、香川半助(35歳)、冷泉五郎(25歳)鎮静会議員の墓が祀られている。
[編集] 文化財
三門、総門、鐘楼、大雄宝殿(以上は国の重要文化財)
[編集] 拝観について
8:30~17:00 拝観料 300円