杉山憲夫
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杉山 憲夫(すぎやま のりお、1930年3月3日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員。水面下の工作が得意で、かつ、極端な猪首であったことから金丸信から「モグラ」と呼ばれたことがある。静岡県出身。学校法人沼津学園の理事長でもある。
裾野高校時代にストライキを起こす。大学進学を希望していたが、家計の事情で大学進学をあきらめ家業を継ぐ。清水町議会議員から静岡県議を経て1983年の総選挙に自由民主党から立候補するも落選。3年後の第38回衆議院議員総選挙で初当選。連続当選5回。金丸信側近で金丸失脚後は小沢一郎側近となり新生党の結党に参加。その後新進党所属となるが、後に小沢一郎と決別し1996年には自民党に復党した。復党後は宮沢派に所属した。建設政務次官・衆議院運輸委員長・衆議院環境委員長などを歴任。2003年の総選挙では、党の比例代表定年制に抵触し引退。