本省人
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本省人(ほんしょうじん)とは、中国・台湾で、自分の所属する省の人のことを指す用語である(日本でいえば、同じ都道府県の出身者のようなもの)。 あるいは、ある省(自分の出身の省でなくてもかまわない)にいる時、その省出身の人を指す呼称である。
だが台湾では特別な意味で用いられることが多い。以下、台湾の本省人について詳しく述べる。
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[編集] 中華民国(台湾)における本省人
台湾での本省人とは、1945年(昭和20年)に日本が太平洋戦争(大東亜戦争)に敗戦し、中華民国へ台湾が帰属(光復)する以前から台湾に住んでいた漢民族と、その子孫を指すことが多い。ここでの本省とは台湾省を指している。そのため、字義どおりには本省人には原住民(台湾で言う原住民とは、本省人のさらに以前から住んでいるアウストロネシア系の諸民族のこと)を含むべきである。だが、日常的には原住民を意識せず、用いられることが多い。
なお、台湾本土派や独立派の中には、この言葉が台湾が中国の一省であることを前提した表現であることを忌避し、台湾人とか在来系台湾人などの語を使用するべきだと主張する人もいる。また、「光復」(台湾接収)後に台湾へ移住してきた中華民国公民は台湾省以外に本籍を持っているため、外省人と呼ばれる。同じ理由から、彼らを「(在台)中国人」と呼ぶ人もいる。
漢民族の本省人は福建省南部の言葉である閩南語、もしくは客家語を母語とするグループに分かれる。閩南語は福佬(鶴佬、ホーロー)語とも呼ばれそれを母語とする閩南人が多数派を占める。そのため閩南語を台湾語と呼ぶ場合もあるが少数派である客家人はこれに反発している。
ただし、閩南人も元々は、さらに泉州(今日のアモイも含む)人と漳州人に分かれていた。しかし、日本統治時代に、泉州方言の中でもアモイ方言を話すものが多いことから、これを基礎とした台湾語が形成されていった。そして、泉州人と漳州人の区別も、徐々に解消され、今日ではほとんど残っていない。
一方、客家人は泉州人や漳州人よりも早く、台湾への移住を始めたと言われる。しかし、広東省が移民を禁止したことから、比率が逆転し、少数派となった。また、台湾語のような客家人の共通語もないため、台湾の北部と南部では語彙や発音の一部が異なるとも言われている。今日、客家人が多い地域としては、桃園、新竹、苗栗などがある。
[編集] 台湾本省人の漢民族・原住民混血説
しかし、今日の本省人のルーツについては、中国から移民してきた漢民族だけではなく、台湾原住民との混血であるとの説が出てきた。そして、近年、遺伝子研究などによる裏づけもなされている。
多くの本省人は明代の頃から日本統治時代にかけて台湾へ渡来し定住したと言われている。しかし、移民は数パーセントに過ぎず、また多くが労働力となる男性であったとも言われている。彼らが原住民の女性と通婚し、今日の本省人の基礎となった。そのため、「有唐山公、無唐山媽」(中国人の父親はいるが、中国人の母はいない)という俗語も伝えられている。つまり、漢民族といっても、東南アジアの華人と同じく、漢民族系の台湾本省人も混血なのである。代々混血が進んだ結果、文化はホーローや客家などの漢文化・言語が残っているものの、漢民族の血は薄くなったとされる[1]。また、清朝の政策により漢化し、漢風姓名を名乗った(或いは改名された)原住民の子孫の方がむしろ多いという意見もある。
近年では、林建良らが台湾人は漢民族ではないとし台湾民族という概念も出てきた。また、游錫堃民進党主席は自らのルーツが中国にある漢民族であることを認める一方、台湾は中国の一部ではないとの認識を示し、自らを「華裔台湾人」であると定義付けた[2][3]。
[編集] 脚注
- ^ これは儒教思想に基づく父系社会の影響で、漢民族に嫁いだ原住民の女性は代々漢化されたとされている。
- ^ 徐永明 「華裔台灣人的認同抉擇」 蘋果日報、2006年10月3日。
- ^ 趙剛 「『華裔台灣人』的進步性」 中國時報、2006年10月1日。