本庄道倫
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本庄 道倫(ほんじょう みちとも、享保5年5月27日(1720年7月2日) - 宝暦6年5月20日(1756年6月17日))は、美濃高富藩の第3代藩主。
旗本・松平信晴の三男。母は松平信望の娘。正室は本庄道矩の養女(異母妹、本庄道章の娘)・幾。官位は従五位下・和泉守。はじめの名は金三郎。
享保5年(1720年)5月27日、江戸に生まれる。延享2年(1745年)に先代藩主であった道矩が死去したときに嗣子がなかったため、その養嗣子となる。11月4日、家督を相続した。同年12月16日、和泉守となる。日光御祭礼奉行や大坂御加番代などを努めた。道倫にも嗣子がなく、宝暦6年(1756年)5月20日に道倫が死去した後、養嗣子の本庄道堅が後を継いだ。法号:騰岳院含誉遊法義空。
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