星条旗よ永遠なれ
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星条旗よ永遠なれ(せいじょうきよえいえんなれ、英語:Stars and Stripes Forever)は、ジョン・フィリップ・スーザが作曲した行進曲の一つで、最もよく知られているものである。アメリカ人の愛国心の象徴とも言える行進曲で、1987年12月にはアメリカ合衆国の「国の公式行進曲 (National March)」に制定された。
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[編集] 作曲の経緯
1896年のクリスマスに作曲された。スーザが妻とヨーロッパを旅行中に、当時「スーザ吹奏楽団(スーザ・バンド)」のマネージャーであったデイヴィッド・ブレークリーが死去したとの連絡を受け、アメリカに帰国することになった。
スーザは、アメリカへ帰る途中の船上でこの曲を頭の中で作曲し、到着するとすぐに楽譜にしたと自伝の中で語っている。スーザは以降亡くなるまで、ほとんど全てのコンサートでこの曲を指揮したが、商業用録音は唯一1909年のものしか無い(メディアの項を参照。)。
なお1929年11月10日にラジオ放送用として収録された音源も存在する。
[編集] 曲の構成
「星条旗よ永遠なれ」は行進曲の楽式で構成されている(IAABBCDCDC、ABCIは旋律を示しAとBは主部、CとDは中間部(Trio)、Iは序奏を示す)。中間部の後、主部に戻らないという特徴を持つ。拍子は2分の2拍子(アラ・ブレーヴェ)である。序奏(I)は非常にシンプルであるが、すぐに聴衆を引きつけ、第一旋律(A)に繋ぐ。第一旋律は明るい二つのフレーズに続いて、突然金管楽器の低音で5連続の16分音符+16分音符+8分音符が続くところが特徴的である。第二旋律(B)は柔らかく且つ誇り高いフレーズであり、次の世界で広く知られる第三旋律(C、中間部)に導く。中間部には歌詞がつけられているが一般にはあまり知られていない。しかしその歌詞は好評で、他の様々な曲の歌詞のモデルとなった。
[編集] その他
- 多くのアメリカの演奏会では、しばしば最後の曲目の直後に続けて自然に演奏され、聴衆はそれに合わせて手拍子を打つ。多くの楽団は、全面にピッコロ奏者を配置して、有名なピッコロによる中間部(トリオ)の助奏部分(オブリガート)の旋律を最初のリピート部から演奏するスーザ吹奏楽団形式のアレンジを採用する傾向がある。最後のグランディオーソの部分では、金管楽器もピッコロに合流し、そのカウンターメロディ(オブリガート)部分を展開する。日本では佐渡裕が指揮をつとめるシエナ・ウインド・オーケストラがこのスタイルを採用しており、さらに聴衆も自らの楽器で共に演奏することができる。
- アメリカのサーカスや劇場などではこの曲は災害行進曲と呼ばれ、緊急事態を示す伝統的なコードとして使われている。この曲は、劇場職員の事態の把握と、聴衆がパニックを起こさないように避難することを助ける。サーカスの楽団は他の状況下では絶対にこの曲を演奏しない。
- ロシアのピアニストであるヴラジーミル・ホロヴィッツは、アメリカで人生の大半を暮らしており、この曲のピアノソロ用の編曲を残した。10本の指で弾くピアノで吹奏楽団の多彩な楽器のフレーズを再現するため、低音と高音が入り乱れる重厚な和音とリズムになり、またピッコロによるオブリガート部も取り入れられており、難度が高い。彼のコンサートではアンコールに演奏された。
- いくつかのオーケストラ用の編曲がなされた。レオポルド・ストコフスキーによるものや、キース・ブリオンとロラス・シッセルによるものがあり、ブリオンとシッセルによるのものはアメリカの独立記念日にオーケストラによってほぼ必ず演奏される。
- ジミ・ヘンドリックスがライブで演奏したアメリカ国歌星条旗をこの曲名で表記している作品もあるが誤記である。
[編集] メディア
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- スーザ吹奏楽団による「星条旗よ永遠なれ」:1909年にトーマス・エジソンによって録音されたもの
- うまく聞けない場合は、サウンド再生のヒントをご覧ください。