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早慶六連戦 - Wikipedia

早慶六連戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

早慶六連戦は、1960年11月6日から同月12日にかけて明治神宮野球場において早稲田大学慶應義塾大学との間で行われた、東京六大学野球早慶戦および優勝決定戦である。

目次

[編集] 決戦前の状況と戦前評

1960年秋季リーグ戦の優勝争いは、最終週の早慶戦を前にこのような状況だった。

  1. 慶 應 8勝2敗、勝ち点4
  2. 早稲田 7勝3敗、勝ち点3

3位の法政以下、立教・明治・東大は全日程を終えて勝ち点3以下で、優勝の可能性は早慶2校に絞られた。

慶應が順調に勝ち点を積み上げたのに対して早稲田は直前の明治戦で4連戦の末に勝ち点を落としてしまった。 慶應は早慶戦で2勝して勝ち点を取れば優勝を果たす。一方早稲田が優勝するには連勝するか、2勝1敗で慶應と同勝ち点・同率となって優勝決定戦に持ち込み、勝てば優勝と、慶應より厳しい条件となってしまった。

長く他校の後塵を拝してきた慶應にとっては8シーズンぶり優勝の大チャンス、いや応なく盛り上がった。早稲田は前年の秋立教との優勝決定戦に敗れ、この年の春は慶應に連敗して優勝を阻まれている。「3度目の正直」で3シーズンぶりの優勝を果たしたいところ。

慶應は投手は清沢忠彦、角谷隆、三浦清、丹羽弘と実力者を多数そろえ、打線も六大学最高打率を更新した榎本博明に後にプロ入りする安藤統夫大橋勲、渡海昇二ら強打者を擁していた。 対する早稲田は安藤元博、金沢宏の両サブマリンが軸、野手は野村徹徳武定之を中心とした守りのチーム。 戦力的には慶應優位と言われており、優勝争いで一歩リードしていることから、この早慶戦を慶應優勢と見る声が多かった。

両校を指揮するのは早大が2年目・28歳の石井連蔵、慶大は新監督で30歳の前田祐吉。若い2人の指導者の采配にも注目が集まった。  

[編集] 経過

※早慶両校に安藤姓の選手がいるため、それぞれ「安藤元」(安藤元博=早大)「安藤統」(安藤統夫=慶大)と表記する。

※責任投手名の右の()内は1960年秋季リーグ戦の通算成績。決定戦の成績はリーグ戦の成績にチーム・個人とも反映させないので表記せず。

[編集] 1回戦

11月6日 神宮 開始13時33分、終了16時1分

1 2 3 4 5 6 7 8 9
早大 0 0 0 0 1 0 1 0 0 2
慶大 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1

(早)○安藤元(5勝0敗)-野村  (慶)●清沢(2勝2敗)、角谷、丹羽-大橋

早大が5回に先制。2死1,2塁として末次義久が代わった角谷から3塁線を破る適時2塁打を放つ。7回にも村瀬栄治が適時打を打って追加点を挙げた。

慶大は安藤元を打ち崩せず、最終回に1死1,3塁から大橋の適時打で1点差に迫り、続く小島の中飛で2塁走者渡海がタッチアップするが3塁で封殺されて試合終了。

[編集] 2回戦

11月7日 神宮 開始13時33分、終了16時13分

1 2 3 4 5 6 7 8 9
慶大 1 2 0 0 0 0 0 0 1 4
早大 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1

(慶)三浦、○角谷(3勝1敗)-大橋  (早)●金沢(3勝3敗)-野村

後がなくなった慶應が雪辱、逆王手をかけて3回戦に持ち込んだ。1回に榎本が3盗、このとき野村の送球が逸れて先制。2回には1死満塁から野選と押し出し四球で2点を加えた。2回から登板した角谷がロングリリーフ、早大打線をヒット1本に抑える好投を見せた。

勝てば優勝だった早大は金沢宏の犠飛で挙げた1点のみで3回からは無安打。序盤の拙守の連発で優勝がお預けになってしまった。

[編集] 3回戦

11月8日 神宮 開始13時29分、終了16時5分

1 2 3 4 5 6 7 8 9
早大 1 0 0 0 0 0 0 1 1 3
慶大 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

(早)○安藤元(6勝0敗)-野村  (慶)●清沢(2勝3敗)、丹羽-大橋

勝って優勝決定戦に持ち込みたい早大は1回に徳武の犠飛で先制、8回に敵失で追加点、9回に徳武が本塁に突入し落球を誘ってダメ押し点(後述)。投げては安藤元が慶應打線を5安打に抑え込んで今季初完封。慶應は打線が沈黙してしまった。

かくして早大が2勝1敗で勝ち点を挙げ、早慶ともに9勝4敗・勝ち点4と全く並んだ。 このため早慶による優勝決定戦が行われることとなった。早慶2校による決定戦は1939年秋季(この年は春も早慶で決定戦を実施)以来、21年ぶりのこと。(ただし、1951年春季に立教も加わっての3校での決定戦がある)

[編集] 優勝決定戦

11月9日 神宮 開始13時30分、終了16時14分

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
早大 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1
慶大 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1

(早)安藤元-野村  (慶)角谷-大橋


翌日に行われた優勝決定戦は安藤元と角谷の投手戦になった。慶大は2回に3塁打の渡海を大橋が犠飛で返し先制するが安藤元から追加点を奪えない。一方の早大は角谷のカーブを打てず、9回まで来てしまった。 しかし早大は1死から代打鈴木悳夫が右中間を破る3塁打、続く石黒行彦が返し土壇場で同点に追いついた。

あとは両投手の投げ合いが続き、11回を終えたところで日没引き分けとなった(当時神宮には照明施設がなかった)。決定戦再試合はリーグ戦史上初めてのことだった。

[編集] 優勝決定戦再試合

11月11日 神宮 開始13時30分、終了16時38分

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
早大 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
慶大 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

(早)安藤元-野村  (慶)角谷、清沢-大橋

1日おいて決定戦の再戦が行われ、前の試合で完投した安藤元と角谷がともに先発に立った。

早慶ともに連投の両エースを攻めたてチャンスを作るが、安藤元・角谷(6回途中から清沢に継投)ともに踏ん張り、得点を許さない。慶大は1回1死3塁を逸機、5回には1死2塁から安藤統がライト前に安打を放つが早大・所正美が好返球で得点を阻んだ。早大も苦手の角谷から再三ノーアウトで走者を出すもののあと1本が出ない。6回に代打鈴木悳の安打で所が本塁を突くがタッチアウト。重い展開のまま、前日に続いて延長戦へ。日没引き分けが迫ってきた11回の裏、慶大は無死1,3塁のチャンスを作るも満塁策をとった早大の必死の守りの前にホームを踏めず(後述)、この試合も引き分け。ついに、優勝の行方は6戦目=優勝決定再々試合にもつれこんだ。

[編集] 優勝決定戦再々試合

11月12日 神宮

1 2 3 4 5 6 7 8 9
早大 0 2 0 0 1 0 0 0 0 3
慶大 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0

(早)○安藤元-野村  (慶)●角谷、清沢、三浦、丹羽-大橋

早稲田はこの試合も安藤元を先発させた。6戦中実に5度目の先発、もはや安藤元に命運を賭けた。慶應も頼みのエース角谷を立てる。

こうなると双方ともに気力の勝負となったが、先制したのは早大だった。安打と敵失で1死1,2塁として所がレフトの頭上を越える3塁打を放ち、一気に2点を奪う。5回には徳武が適時打を放って追加点を挙げた。

慶大は5回裏に1死満塁とこの試合最大のチャンスを作る。併殺崩れの間に1点を挙げ、なおも安藤統が痛烈なライナーを放つがライトの真っ正面に飛んでしまった。

安藤元は連投の疲れも見せず、この後も慶大の追撃を抑えた。15時10分、ついに6戦にわたる激闘に終止符が打たれ、早大が3季ぶり20回目の優勝を果たした。

[編集] 「伝説」

この六連戦で安藤元博は5試合に完投、特に第3戦からは4戦連続の完投で実に49イニング、564球を投げ抜いた。この驚異的な連投もそうだが、この六連戦では数々の名場面が生まれた。その死闘の連続が現在まで語り継がれる「伝説」となった所以である。以下、数々のエピソードとともに紹介する。

  • 第3戦の9回表1死3塁、早大の3塁走者徳武は野村の遊ゴロで本塁に突入した。タイミングは完全なアウトだったが徳武は右足を高く揚げて滑り込み、慶大の大橋捕手をはね飛ばして落球を誘いホームインした。ところが心配して大橋の様子をうかがおうと本塁へ戻った徳武を、センターから血相を変えて飛び込んできた渡海が突き飛ばし、双方選手入り乱れてあわや乱闘かという事態になった。事態は石井・前田両監督が鎮めたものの騒ぎは9回裏の慶大の攻撃になっても収まらず、興奮した3塁側慶大学生席から3塁を守る徳武に激しい野次とともに物が投げ込まれる。1933年の「リンゴ事件」の再来かと思われる最悪の事態となっていった。これを収めたのが慶大前田監督。とっさに3塁コーチボックスに立つことで、いきり立つ学生席を鎮めた。
  • 優勝決定戦の初戦、慶大は1点をリードして9回表を迎え、伊田保生を討ち取って優勝まであと2人まで迫った。ここで早大は2年生の鈴木悳を代打に起用、これが見事に当たって同点にこぎ着けた。まさに起死回生、試合を引き分けに持ち込んだのである。
  • 続く再試合、慶大は11回裏に安藤の四球と榎本のエンドランで無死1,3塁のサヨナラ=優勝のチャンスをつくった。早大は満塁策を取り、右打者の渡海に備えて肩の弱い伊田をライトに、強肩で守備固めの鈴木勝夫をレフトに回した。ところが早大の意に反して渡海の打球は代えたばかりの伊田の前に。誰もが犠牲フライで慶大の勝利と思った瞬間、伊田が好返球を送り3塁走者安藤統を刺してしまった。伊田の一世一代のバックホームで早大はまたも死の淵から甦り、続く6連戦目での勝利を呼び込んだのだった。安藤統はいまでもこのプレーを「セーフだった」と主張している。
  • 安藤元は最下位だった明治戦で続けざまにノックアウト、不調のどん底だった。そこで早大の石井監督は安藤元にノースロー調整を命じる。傍目には安藤元は責任をとって干されたと見えたが、石井の師飛田穂洲が疲労回復のためにと助言したものだった。安藤元はその間走り込みに専念、これで調子を取り戻して6連戦の快投へとつながったのである。安藤元の球を全て受けた野村によれば、試合を重ねる毎に安藤元の調子は上がり、6連戦目はむしろ初戦のときより球がきていたという。実は石井は明大戦での不振は安藤元の精神がたるんでいるからと見て投げ込みを命じようとしており、飛田の一言がなければ、六連戦はもとより早慶戦で勝ち点を挙げていたかどうかわからなかったところである。
  • その安藤元を慶大は最後まで打ち崩すことができなかった。あまりに打てないことに業を煮やしたOBたちが選手たちに尋ねたところ、返ってきた答えは「誰でも嫌いなものを毎日出されたらうんざりするだろう。自分たちは嫌いなものを毎日食わされているようなものだ」。
  • 安藤元の好投とは対照的に早大の主砲・徳武は5戦目まで1安打1打点と不振を極めた。すでにプロ数球団から誘いを受けて進路に悩んでいたことに原因があると見た石井監督は徳武に早く球団を決めるよう促した。国鉄スワローズに入団を決めた徳武は、これで吹っ切れたかのように6戦目に試合を決定づける適時打を放った。
  • 当時から東京六大学野球連盟の事務局を務めていた長船騏郎によれば、この年(1960年)、神宮に照明塔を設置するかどうか議論があったが結局設置しなかった(1952年に撤去していた→「明治神宮野球場」の項参照)。設置していれば、決定戦の日没引き分けもなく、6戦目までもつれることはなかっただろう。(「東京六大学野球八十年史」、2005年)
  • 同じく長船の談だが、優勝決定戦引き分けの後に1日の中休みが入ったが、これは両校の疲労に配慮してのことではなく、チケットがなくなりその印刷に1日必要だったためである。(同上)
  • この6戦中、ホームランは1本も出なかった。ワンバウンドでスタンドに入るエンタイトル3塁打(当時の神宮特別ルール)も1本のみ。全試合を通じて最高得点は4点止まり、1イニング3点以上のビッグイニングはなかった。ホームランが出にくい広いグラウンドで、用具も今よりは質が落ちるものだった。こうしたことも、現在では起こりにくい息詰まる投手戦の連続となった背景にあると思われる。
  • 6戦目での慶大3塁側学生席、これまで女性が立ったことのなかった応援リーダー台に1人の女性が立った。慶大応援指導部が応援の秘密兵器にと用意していたチアガールで、その華麗な姿は満場を大いに盛り上げた。これが日本の野球応援にチアガールが登場した最初だといわれている。


この六連戦には連日満員(計38万人)の観客が詰めかけ、決定戦が引き分けに終わると次の試合のチケットを求める徹夜組の列が早速でき上がるという具合だった。たき火の材料を求めに青山霊園に走る者も出る始末だった(いうまでもなく狙いは古い卒塔婆)。六連戦の模様はNHKだけでなく民放各局が連日放映、全国の注目を大いに集めた。

かくして数多くの逸話を残した六連戦は、関係者のみならず人々の間で「伝説」となった。当時の選手たちだけでなく早大の関係者、当時を知る野球ファンのなかでは、六連戦は「あの」という言葉を頭に付けて語られている。70年を越えたプロ野球でも決定戦再試合は未だにゼロで、六連戦を越えるような死闘は、今後二度と出ないとも言われている。
また1960年といえば安保闘争が起き、浅沼稲次郎が刺殺され池田勇人所得倍増計画を唱えた年、日本全体が時代の激変のまっただ中にあった。そうした年の代表的な出来事としても、この六連戦は記憶されている。

この当時は1試合あたりの観客動員数でプロ野球との地位が逆転しつつあるときだった。六連戦と前後してプロ野球は徐々に観客数を伸ばし、国民的な人気スポーツの地位を確保した。一方六大学は少しずつ観客数を減らし、テレビ中継していた民放局も徐々に放映から撤退していく。そのため、この六連戦を“六大学最後の栄光”としてとらえる向きも存在する(長嶋茂雄の立大卒業→プロ野球入りの時機を転機とする意見もある)。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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