利用者‐会話:新里紹顕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
目次 |
[編集] ウィキペディアにようこそ!
こんにちは新里紹顕さん、はじめまして!Mint22と申します。ウィキペディアへようこそ!
- ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
- よろしければ自己紹介してみてください。
- お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースとしてサブノートを作ることができます。
- 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
- 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。
あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。
Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for non-japanese-speakers. Enjoy!
なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しておりますので、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、お詫びいたします。--Mint22 2005年5月31日 (火) 11:31 (UTC)
[編集] 琉球の人名について
こんにちは。Sketchと申します。新里さんの沖縄関連の項目への投稿をいつも読ませていただいております。
さて、儀間真常の記事を拝見しまして、気づいた点をいくつか。まず、Wikipedia:記事名の付け方#人名によると、「原則として敬称・肩書はなし。」とされていますので、玉城親方朝薫、儀間親方真常は、文中でも玉城朝薫、儀間真常と書いておいた方がいいのでは無いかと思います。また、蔡温と具志頭親方文若は同一人物で、おそらく後者が前者へのリダイレクトになるでしょうから、両方へのリンクは不要です。
また、総管野国と書いていらっしゃいますが、嘉手納町その他でも「野国総管」と呼ぶのが一般的ではないでしょうか。(ところで、野国総管の場合は正確な姓名が伝わっていませんから、肩書をつけてしまってもやむを得ないと思います。)
よろしければ近く修正させていただきたいと思います。これからも精力的なご執筆を僭越ながら期待しています。―sketch(話/履) 2005年9月23日 (金) 16:24 (UTC)
- はじめまして、Sketchさんのプロフィールを先に拝見させていただきましたが、沖縄在住の方なのですね。投稿記事からして察しはついているとは思いますが、私も沖縄在住です。今後とも宜しくお願い致します。
- ご指摘の琉球の人名についてですが、ここWikipediaでは、記事中では最も確定的で且つ客観性の高い「唐名」・「采地名+位階+名乗」の表記をし、見出しの立項については、現在半ば慣例化されている疑似和名表記のスタイル、つまり「玉城親方朝薫」を「玉城朝薫」とする表記を採用しました(もちろん久米村籍の人物は唐名で立項予定)。
- 王府時代の琉球の人名は日本とも中国とも異なる独自の方式であって、現代まで受け継がれている疑似和名表記は、琉球処分以後の日本化の中で、あたかも和名のごとく解釈されるような表記方法になったのにすぎません。署名なども通常「采地名+位階」であるので、琉球の人名を表記する場合は可能な限り「采地+位階+名乗」(但し該当人における最終の)を反映させるのが良いと思っています。実際に「采地名+位階」しか分からない人物も結構いますので。
- あと総管野国についてですが、こちらも伝統的なというか本来の記載順に従って表記をしています。つまり官職名は個人名より先に表記するというものです。実際に史書においても野国総管と表記されることは皆無で、子孫が墓所に立てた由来記にも「総管野国由来記」と銘記されています。野国総管という表記は比較的近代(少なくとも琉球処分以降)になり転倒して伝播したのでしょう、思考が日本化してしまうとどうしても名前を「姓+名」で解釈してしまいがちですから。あと蛇足ですが、これから総管野国いついての記事を書こうと思っていますが、『氏集』や戦前に筆写された家譜から総管野国の名乗などはわかっています。
- 最後に蔡温についてですが、これも意図があり蔡温と具志頭親方文若のふたつにリンクをはったのですが、よくよく考えてみるとあまり意味がないので一方のリンクは解除致します。
- かなりの長文となり、読みづらくなってしまいましたが、琉球王府時代における人名(主に首里那覇泊士族)として最も誤解を招きにくく、妥当なものは「采地+位階+名乗」ではないかと考え執筆した次第です。―新里紹顕 2005年9月24日 (土)
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- こんにちは。お返事ありがとうございました。また、お返事が大幅に遅くなりましたことをお詫びします。申し訳ありません。
- さて、琉球の人名に限らず、ウィキペディアにおいて項目名をどのようにつけるかというのは長らく議論の種になるテーマの一つです(Wikipedia:記事名の付け方)。とりあえずの方針として「正式名称を使う」というものがありますので、新里さんの方針もそれに叶ったものであるのかもしれません。一方、正式名称という場合、学会などで盛んに使われる確定した呼ばれ方、とする考え方もウィキペディアの中にはあって、このあたりはイスラム教の聖地である都市の項目名についてノート:マッカなどで盛んに議論された経緯があります。そのため、私がこの形での呼び方を見たことがなかったというのもあって、お考えの上でのことなのかお尋ねしたわけです。新里さんがしっかりとお考えの上で立項していると言うことで、安心しました。これからも新里さんの執筆を楽しみにしています。
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- お返事ありがとうございます。ウィキソースについては存在そのものを知りませんでした、このようなプロジェクトもあったのですね。まだまだ記事数は少ないようですが、今後の成長が楽しみなところですね。私のアップロードした山北今帰仁城監守来歴碑記は、いわゆる旧漢字や俗字・異字等を全て改めてしまっているので、そのままそちらにアップロードするのは抵抗がありますね、というかやはりそちらは「ソース」そのものが重要なので、現物の文言(漢字)を正しく翻刻したものが掲載されるに相応しいでしょう。時期をみて翻刻し直してアップロードにのぞみたいと思います。
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- この度はいろいろとご指摘・ご指導ありがとうございます。本格的に執筆にのりだしたのは先月あたりからですので、まだまだ知らぬこと、至らぬところばかりですが、今後とも宜しくお願いいたします。―新里紹顕 2005年10月20日 (木) 06:02 (UTC)
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確かに本土と琉球の人名の項目名の使い方について完全に一致させるのには無理があるように思えます。ただ、この事が周知されなければ、他の利用者から無用な誤解を生む恐れもあると思います。人物の項目名その他を話し合う場所としてWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝というところもありますので、一度「琉球の人名」に関する提議をされてみたらいかがでしょうか?--210.196.189.19 2005年11月11日 (金) 01:49 (UTC)
[編集] 画像情報とライセンス明記のお願い
新里紹顕さん、こんにちは。画像:Matsumurasoukonhi.JPGを拝見して飛んできました。沖縄、いいですね。二回行ったことがありますがまた行きたいと強く思うところです。
ところで、アップロードページにあった下記のような説明にお気づきでしょうか?
- ファイルの出典に関する詳細な情報を「ファイルの概要」欄に記載してください。特に、インターネット上で参照できるファイルに関しては、URLを記載してください。写真の場合は、撮影者を明記してください。
- 適切な画像の著作権表示タグを追加して、ファイルのライセンス情報を明示してください。「非営利のみ利用可」「利用には許可が必要」などの自由な利用ができないファイルをアップロードしてはなりません。ライセンス情報のないファイル、自由な利用ができないファイルは削除されます。
- ウィキペディアでは写真など画像を投稿する際には、作成者の名前とライセンスを明記するよう求められています。新里紹顕さんご自身の撮影された写真でしたら、画像の説明ページに「□年□月□日、撮影者 - 新里紹顕」等ご記入ください(詳しくは下のライセンス記入例をご覧下さい)。
- ライセンスは{{GFDL}}か{{PD}}のどちらかを選んでご記入ください。お選びいただいたライセンスの文章が自動的に挿入されます。どうぞよろしくお願いします。
つまるところ下の例のように記入していただくとベストです。
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- 画像情報記入例(それぞれの画像ページをご参照下さい)
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- ライセンス記入例
- 画像:Nihonmaru 1.jpg (これは{{GFDL}}を選択しています)
- 画像:EnglishHouseofCommons1741.jpg (これは{{PD}}を選択しています)
- ライセンス記入例
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新里紹顕さんのご活躍を楽しみにしています。--Tomomarusan 2006年2月9日 (木) 15:36 (UTC)
- ご教示どうもありがとうございます。件の説明文にはあまり注意を払わず、そのままアップロードをしてしまいました。以後気をつけたいと思います。
- ちょこちょこ書き込みはしていますが、まだまだ不慣れな新参者でいろいろとご迷惑をおかけしております。今回ご指摘のあったライセンスに関しては、全て情報の反映をさせておきました。
- また何か不手際やお気づきの点がございましたら、宜しくご教授下さい。
- 新里紹顕 2006年2月10日 (金) 01:07 (UTC)
- お返事ありがとうございます。ついでにコモンズへのアップロードもご案内します。(詳しくはこちらをどうぞ→Wikipedia:Wikimedia Commonsに画像をアップしよう)コモンズへアップロードされたファイルは日本語版ウィキペディア以外のプロジェクトでもそのまま使用できます。ですので「自分が上げた画像が英語版やフランス語版などで使われていた!」などといったことがよくあります。日本語版へのアップロードと違って高解像度の画像が推奨されていることも注目すべき点です。グローバルな感動も得られますので、ぜひご利用ください。--Tomomarusan 2006年2月10日 (金) 12:48 (UTC)
画像:Sanhokunakijinjyou honkoku.JPGにライセンス関係のつけ忘れがありましたのでよろしくお願いします。たね 2006年8月3日 (木) 18:26 (UTC)
- ご指摘どうもありがとうございます。件の画像なのですが、碑文の翻刻をできるだけ忠実(漢字、擡頭など)に再現しようと考え、通常の記事入力ではなく、文字を画像扱いとして表示させたほうがより意図を反映できると思い、そうしました。そういった具合のものなので、画像のライセンスの表示はなじまないと考え、特に記載はしませんでしたが、やはり必要となるのでしょうか?新里紹顕 2006年8月5日 (土) 04:08 (UTC)
- 基本的には全ての画像に対してライセンスの記入が必要です。ウィキペディアの文章・画像はGFDL/PDによってライセンスすることによって誰でも自由に(ライセンスにしたがって)使うことができると思うのですが、画像ページにライセンスの記載がないとどうやって使ったらよいのかがわからない状態になってしまうと思います。石碑自体は非常に古くPD扱いだと思うのですが、それを適時読みやすいように直したりしたところにGFDLでライセンスできる要素も出てくると思います。新里紹顕さんが望むライセンス方法(PD/GFDL)どちらでもライセンスできるのではないかと思います。ライセンスを加えたほうが後から使う人が使いやすいと思いますのでご検討下さい。たね 2006年8月5日 (土) 04:23 (UTC)
- そうですね、確かに後から使う人のことなどは余り考えていませんでした。先ほどライセンスを明記致しました。ご指摘どうもありがとうございます。新里紹顕 2006年8月7日 (月) 19:27 (UTC)
[編集] ありがとうございます
はじめまして新里さん、Kunipooと申します。以前「山北今帰仁城監守来歴碑記」を拝見し、新里さんの事は存じておりました。今回「江戸上り」項に関しご意見を頂きありがとうございます。さっそく調べましたところ、
- 1574年(万暦2年)使者を送り島津義久の襲封を賀す。
- 1577年(万暦5年)使者を送り島津氏三州統一を賀す。
- 1712年(康煕51年)島津吉貴の中将昇進を賀すべく野国王子朝直が慶賀使として薩州へ赴く。
といった記事が、私の参考書籍の一つ『意外な首里城王統紀』(比嘉朝進・著、球陽出版)という本に見られ、ご指摘の事については実に私の不勉強で、誠に汗顔の極みであります。つきましては訂正をしたいと思いますが、どのようにすれば良いと思われますか?方法として私の思いつくところでは、
- 慶賀使・謝恩使ともに「曖昧さ回避」の項とし、それぞれ江戸上り、薩摩上り(という語があるか?は不明、上麑はありうる?)の項へリンクする。
- 薩摩への慶賀使・謝恩使を主な内容とした記事をそれぞれ立項した上で、「江戸上り」の項へは「山手線方式」でリンクする。
いずれにせよ薩摩との行き来は朝貢貿易の前後などを含め頻回であり、慶賀使などは年頭の慶賀なども含めると毎年の事で、必然的に記事量も多くなると思われます。とても私一人の手には負えないのではないかと心配です。何か良い方法はないものか、新里さんのお知恵をお借りできればと思います。
閑話休題、琉球史上の人物名に関する編集方針ですが、まぁ百科事典としての調べやすさとしては「最もひろく知られた名称」での掲載がいいのかもしれませんが、それでは「蔡温」「程順則名護親方」「羽地朝秀」のように統一が採れません。幸いにもWikipediaには「リダイレクト」という便利な機能がありますので「調べやすい名前」に固執することなく「統一の採れた表記法」に徹することができますね。その点で新里さんのご提言はまことに素晴らしいと思います。
最後になりましたがこれからも御指導御鞭撻の程宜しくお願い致します。共にWikipediaの琉球史関係項目を充実させていきましょう!--Kunipoo 2006年3月6日 (月) 18:47 (UTC)
- 琉球人名/暦法編集基準―女性への適応について
- ご返信頂き有難う御座います。広域ブロックにかかっておられるそうで、不心得者に対する制裁措置の巻き添えを喰った形であり誠にご愁傷様です。一日も早いブロック解除と新里さんの本格始動を心より待ち望む次第です。
- さて、琉球人名/暦法に関する編集指針についてはWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝に賛成意見を書かせて頂きました。つきましてはさらなる提案といいましょうか、新里さんのお知恵をお借りしたいのですが、私は先日来、漠然と「琉球史上の人物の記事を書いていくのならば、『聞得大君』(きこえおおきみ・チフィジン)についての記事も将来的には書くことになるだろうなぁ」と考えておりました。ご存知の通り聞得大君は女性であり、新里さん御提案の指針には乗せにくい部分があります。調べた限りでは琉球女性の名は基本的にはワラビナーだけであり、王族に限っては名島+称号(○○按司加那志、○○阿護母志良礼、○○翁主など)または号(月清、坤宏、仙徳など)があります。聞得大君に関しては号が重複する(かぶる)人がおらず、ほぼ全ての人の号が判っているので号による記載が可能ですが、家譜などの記録を見ても士族の娘でさえ「○○筑登之親雲上○○女」などと名前不詳な場合があり、また琉球史上にはそれ以外にも女性名が(少ないですが)登場します。尚真王母であるおぎやか、尚寧王妃・阿応理屋恵按司加那志(真銭金)、琉歌の世界で並び称せられる恩納ナビーや吉屋チルー、与那国島の女傑サンアイイソバなんて人もいます。これらに関して、(記事を立項する必要があればですが)その記載法についてのある一定の法則なり形式が(男性同様に)あったほうがよいかと思います。試案としては
- 聞得大君に関しては1.号で統一する、2.聞得大君加那志○○○(童名)とするか。
- 王の妃・夫人・妻に関しては名島+称号、それで重複する場合は1.号で区別するか、2.名島+称号+童名か。
- 王の娘については1.○○翁主とする(翁主号出現以前はどうするか?)、2.尚○王女○○○(童名)とする、3.○氏○○(夫名)室○○(号)とする。
- 士族の娘は父名+女+童名(号○○)とする。
- その他は人口に膾炙されていると考えられる通称(「恩納鍋・恩納ナベ・恩納ナビー」、「吉屋思鶴・吉屋ウミチル・吉屋ツル・吉屋チルー」果たしてどれが?)
- 「サンアイイソバ」に至ってはどうしていいか・・・まぁ5で落ち着くかとは思いますが・・・。新里さん、お知恵をぜひお貸し下さい。ご意見お待ちしております。
- あ、急いでいませんのでお返事は復活後でもぜんぜんよろしいですよ。私もその間に煮詰めてみたいと思います。--Kunipoo 2006年3月24日 (金) 09:48 (UTC)
[編集] 琉球国王の記事名から王号を削除する提案について
新里さん、お久しぶりです。尚玉さんの提案なさっている琉球国王の記事名に王号をつける提案や実際に改訂された記事を見て、かなり違和感を持ったのですが、なにぶん私のウィキブレーク中の提案で反対意見無しとして処理されておりましたので、思い切って対案を出してみました。つきましてはWikipedia‐ノート:スタイルマニュアル/人物伝の琉球国王の記事名から王号を削除する提案をご一読頂き、忌憚ないご意見を賜りたいと思いますので、よろしくお願い致します。--Kunipoo 2006年12月22日 (金) 09:56 (UTC)
- 琉球国王の記事名から王号を削除する提案での尚玉さん並びに海衛士さんのご意見に対しまして、私なりの考えを再度書き込みましたのでぜひご一読頂き、ご意見を賜りたいと思いますので宜しくお願い致します。--Kunipoo 2007年1月27日 (土) 02:57 (UTC)
[編集] 加筆する際のコンセンサス重視のお願い
はじめまして。尚コウその他の記事の新里さんの加筆方法に若干疑問をもったので、疑問点を述べます。
- 一方的な書き換え。
- 例えば、私が「家族表」と項目名を書いた箇所を、数時間後に「系譜」と書き換えられていますが、なぜ家族表ではだめなのか、理由をノートに書いて書き換えるような他の執筆者の書き方にも敬意を払う姿勢をもっていただけないでしょうか。系譜とは、「先祖から子孫に至る一族代々のつながり」(大辞泉)と定義されているように、一代ごとの各王の家族を記す項目名に使うのは、概念的に不適切だと私は思います。それで、私は「家族表」としています。この項目名は、中文版の皇帝の項目(zh:康煕帝など)の記事にある「家族列表」を参考にしました。家族表が項目名として不適切だというのでしたら、私のノートにその理由を書いてくださるなり、当該記事のノートに一言意見を書いていただけませんか。
- コロンの使用について。
- コロン(:)は周知のように、元来、欧文の句読点の一つです。しかし、日本文で用いる場合、「点(、)」「丸(。)」「中黒(・)」などと比べて、コロンの使用は限定的で、歴史関連の文章などでの使用はあまり見かけません。それゆえ、コロンを多用される新里さんの記述には違和感を覚えます。私が中黒で書いている箇所をコロンに書き換えられているようですが、どうして中黒ではダメなのか、他の執筆者の表記法に異議がある場合、やはりまずノートで議論すべきではないでしょうか。
- 国王の兄弟姉妹を家族表(系譜)に書く必要性
- これは先代等の王の家族表ですでに書いていますから、そこを見れば、国王の兄弟姉妹名は分かります。不必要に記事が長くなるので不要であると考えます。--尚玉 2006年8月8日 (火) 00:11 (UTC)
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- はじめまして、新里紹顕です。それでは提出されている項目順にお答え致します。
- 「一方的な書き換え」について
- 私は別に「家族表」という表記が宜しくないと考えているわけではありません。確かに私の加筆する前の版の状態はそれこそ単なる「家族表」ですから、その表記に異論はありません。しかし私は「系譜」と表記するのに相応しく、単なる人物名の羅列だけではなく、父母や兄弟との関係や妃や子らの内訳的なものに触れて加筆したので「家族表」から「系譜」と改めたのです。系譜の定義として『大辞泉』をあげていますが、編者同一の『大辞林』では「血縁関係を順次記した図・記録」、『広辞苑』では「物や人のつながり」、『新明解国語辞典』では「物事の間に見られるつながり」の定義があり、なにも代々延々としたものでなければならいとは言えず、限定的なピックアップ・抽出は誤ってはいません。なにより私が琉球の人物を立項するにあたっては、Wikipedia内の人物記事を参照にし、徳川家康のように家族の人名羅列ではなく、家族関係について言及のあるものは「系譜」の表記を、また言及が無いものは徳川家光のように「家系」と表記することとしました。以上が私が書き換えを行うに至ったバックボーンで、何もノートで断る部類のものではないと感じていました。何か書き換えられた時間のタイミングを気にされていますが、特に意図してやったものではありませんよ、たまたま最近更新したページをチェックすると、記事が目に入ったので時間もあるし加筆するかと思っただけです。それを強調して「数時間後に」と表記されると行き違いがあるなというか、遺憾に思わざるをえません。
- 「コロンの使用」について
- コロンの使用についてはWikipediaの「コロン (記号)」での説明にもある「項目とその内容の間 」という使用をしています。で、中黒をなぜコロンに置き換えたのかと申しますと、私のページでの明記のほか、Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)でも提案をしている表記方法「唐名・采地名+位階称号+名乗」で、中黒の使用があり、それとの重複と混乱を避ける(長男・麻平衡・儀間親方真常と記すと、最初の中黒と次の中黒の意味合いが異なる)ためというものから帰納的に行き着いたものです。スタイルマニュアル上では異論はないので、暫定的ですが全てこの表記方法に則って新規執筆および加筆訂正を行っています。私は最近までウィキブレーク中だったもので、先のスタイルマニュアルのチェックを怠っていましたが、尚玉さんも別項目をたてているようですね、そこへは改めて書込をしたいと思います。
- 「国王の兄弟姉妹を書く必要性」について
- すでに上記のもので言及済みですが、「系譜」とするにあたって、必要の範囲内だと思ったから加筆したものです。逆に私は尚玉さんの記述で夫人や妻の出自、あるいは子についての「某御殿何世」とかの記述のほうが冗長に感じられ、不要と思っていました(但し私も子が元祖の場合や特記する必要があると思えた場合は表記しています)。ですから私は通常は奥平親方朝昌や今帰仁按司朝幸のような表記をしています。今回の加筆にあたってはやはりその部分は削除しましたが、せっかく記されている父親の情報を生かそうと思い、時間のかかる唐名の特定作業を行い、これを反映させました(これで個別の項目に発展できれば嬉しいですね)。「某御殿何世」や「某家元祖」は系譜欄の人名に並記するのではなく、同欄の説明文で総括・吸収する(今回の尚コウの項目ではこの方法)か、各個人の項目を別に立項し、そこで言及した方がスマートでより事典的だと思います。また加筆作業中に気が付きましたが、尚玉さんは少なくとも現段階では二次資料以降の誤謬の含まれる資料を用いていることが分かりましたので、その部分は定本や一次資料に基づきこれを改めるという作業を行いました。
- はじめまして、新里紹顕です。それでは提出されている項目順にお答え致します。
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- 以上項目順にお答え致しました。最後に私は何もコンセンサスを軽視したつもりではないことを改めて申し上げます。新里紹顕 2006年8月8日 (火) 04:00 (UTC)
- ご返事ありがとうございます。以下に、自分の意見を述べます。
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- 「系譜」の語の定義について
- > 『広辞苑』では「物や人のつながり」、『[[新明解国語辞典]
- > ]』では「物事の間に見られるつながり」の定義があり、なにも代
- > 々延々としたものでなければならいとは言えず、限定的なピックア
- > ップ・抽出は誤ってはいません。
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- 色々な国語辞書を引用しても同じことで、系譜というのは、普通代々のつながりを記した図や文です。単に当該人物の父母、妻、子女、即ち、おおむね一親等以内の家族を列記したものを「系譜」と呼ぶのは、一般的な理解からは逸脱していると思います。それは系譜から抜粋した当該人物の家族一覧に過ぎません。あと、説明文を加えたから家族表ではないとか、系譜であるとか、そういった説明も私は聞いたことがありません。
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- コロンについて
- 「唐名・采地名+位階称号+名乗」の表記ですが、私も単独表記の場合は、「唐名・采地名…」の順でよいと思います。しかし、実際に記事を書く場合、その前に「唐名・尚健・伊江王子朝直」や「五男・尚健・伊江王子朝直」や「摂政・尚健・伊江王子朝直」などと書く必要がしばしば出てきます。
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- しかし、これではご指摘のように中黒の連続で、日本語して不自然になります。この場合、中黒の連続を避けるためには、「五男・尚健、伊江王子朝直」という表記が、日本語としては一番ふさわしいと思います。「五男:尚健・伊江王子朝直」というのは、日本語としても不自然ですし、Wikipediaのコロン (記号)記事中の例文に「例 日時:3月3日 4時5分」の使用例がありますが、こういったコロンの用法は日本語では、まだ使用する例が限定されています。それゆえ、そこから「五男:尚健云々」と書くのは、日本語として飛躍を感じます。試しにこの文を縦書きにすれば、コロンは使用できません。歴史関係の文章で(年表やリスト的な、簡略した表記を求められる記述以外は)、コロンを多用するのはおかしいと思います。
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- 「国王の兄弟姉妹を書く必要性」について
- >すでに上記のもので言及済みですが、「系譜」とするにあたって、必要の範囲内だと思ったから加筆したものです
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- 同じ主張の繰り返しになりますが、国王の兄弟姉妹は、すでに国王の父王(や父王子)の記事で記述されています。確認したければ、容易にリンク先に飛ぶことで見ることができます。わざわざ重複して書く必要性が分かりません。--尚玉 2006年8月8日 (火) 05:38 (UTC)
お盆休みも手伝い返信が遅くなってしまいました。では今回も各項目に返信致します。
- 「系譜」の語の定義について
私が辞書を引き合いに出したのは、先に尚玉さんが『大辞泉』の引用をしていたので、それに対応する書込としてあげたまでです。それをもって「色々な国語辞書を引用しても同じこと」と仰っていただくと、あの辞書の引用は何を意味したのだろうかと疑問符が頭上に出てしまいます。また「そういった説明は私は聞いたことがありません」との事ですが、少なくとも私はそういう認識をしておりますし、実際に他の人物記事中でもそう表記されていると指摘しておきました。さらに具体例としては源義経などがあげられます。この記事はWikipedia:秀逸な記事として認められていますが、この項目中の「系譜」はまさに一親等以内の家族に限定されています。しかしこの記述は多くの査読をへてなお変更訂正されずに秀逸な記事として認められています。この「系譜」の認識は、なにも一人私が認識しているわけではなく、私が引用した辞典をはじめ、多くのウィキペディアンと同じ認識であると思われるのですが、いかがでしょうか。
- コロンについて
まずコロンの使用そのものについてですが、これは是認されていると感じます。「文章を縦書きにすれば」と仰っていますが、縦書きでもコロンは使用しますよ。少なくとも私はそうですし、手元の書籍にも散見されます(大手の筑摩書房なども使用)ので、使用自体については要は好き嫌い程度の主観の問題に思われます。そして「尚健、伊江王子朝直」という表記についてですが、私に言わせればむしろ読点を用いるほうが不自然で、予備知識のない読者の混乱を招くと思われます。読点は「区切り」とも言われるように、尚健と伊江王子朝直が全くの別人、あるいは別項目として認識される可能性が浮上してくると思います。辞典に限らず、書籍(文章)中の表記フォーマットは統一されるべきですので、唐名と采地名の間に中黒を入れるとするならば、全ての記事にこの記述方針を反映させるのは当然のことだと考えます。この方針に対し、別項で尚玉さんは「硬直的」という認識を示していますが、私はこれを「整合性のとれた記述」という認識をしております。さらに私の思うところを念のために申し添えておけば、何も私は中黒にこだわっているわけではありません。他になにかの相応しい(執筆者以外の人間が一読して了解できる)約物があればそれに変更しても良い、というかそれに変更すべきだと思います。残念ですが読点は先の理由で代替の役務は果たせないと思います。琉球の人名の表記としては、一般に論文や紀要では中黒か、全角あるいは半角のアキの挿入、または采地名以下を括弧でくくる、唐名と采地名の間にアキや約物を入れずに連続して表記する、というような記述方針が見られます。私はこの中から中黒挿入方式を提案したということです。他に何か良いアイディアがあれば良いですね。
- 「国王の兄弟姉妹を書く必要性」について
尚玉さんの指摘は「国王」というものに、こだわってしまっていると思いますが、他の歴史人物にも置き換えて考えてみてはもらえないでしょうか。当該人物の兄弟や姉妹はわかっていても、その父親の情報がなかったりする例は多くあります。この場合や、たとえば何かの初代の場合は、当該人物の直系尊属には基本的に遡及しませんよね。こういった場合には必然的に兄弟姉妹の情報は、当該人物の記事中で反映言及せざるをえなくなります。するとやはり整合性の面から言って、全ての人物にこのフォーマットを反映させておいた方が良いと思います(何より尊属者が永遠に立項されない可能性もあるので)。また尚玉さんは、兄弟姉妹の情報は「容易にリンク先に飛ぶことでみることができます」と仰っていますが、たしかに「冗長」だというデメリットもあるでしょうが、一瞥してその概要を捉えることができる、ブラウジング作業におけるメリットを排斥するほどのデメリットではないと思います。妻子の多い尚コウを最初に御覧になったから、あまりも冗長と感じたのではないでしょうか。すでに多くの査読を経ている源頼朝などでも言及されているように、「系譜」項目における「妻子の記述」は、多くのウィキペヂアンによって支持されていると認識しています。
重ねて申し上げますが、私はコンセンサスを軽視してはおりません。新里紹顕 2006年8月20日 (日) 06:18 (UTC)
ご返事ありがとうございます。
- 「系譜」の語の定義について
源義経の記事中の系譜の項目は、私たちが論じているものと文章体裁が異なるので、参考にはならないと思います。中文版のウィキペディアなどでは、各皇帝の家族は「家族列表」の項目名で記されています。例えば、永楽帝(中文版)、康煕帝(中文版)など。一親等以内の家族を系譜と呼ぶという認識が一般的であるという主張は、漢字の意味から考えても無理があると思います。各辞書の定義でも一親等以内の場合について、特に言及した記述はありません。私は王の家族を列記するのだから「家族表」でいいと思いますが(あるいは単に「家族」でもよい)、この表現に絶対に固執しているわけではありません。ただ新里さんの訂正が、最初からご自分の表記法が絶対であるかのような印象を受けたので、コンセンサス重視のお願いをしたのです。
- コロンについて
コロンが縦書きでも使われるとの主張ですが、これも一般的な認識からかけ離れた、やや牽強付会な主張のように感じられます。このサイトでも、コロンは欧文の記号で縦組みでは用いない、縦組み用のコロンは「JIS X 0208」の「附属書4」では「参考」とされているだけであるとあります。もちろん、このサイトの人のように、コロンを縦書きでも使われたいという方もいるとは思いますが、あくまでも「少数である」と私は認識しています。読点については単なる区切りであり、唐名の後に用いてもまったく差し支えないと思います。それから中黒については、最初の主張に立ち戻っていいますが、私はこの使用がふさわしくないと言っているのではなく、コロン、中黒と連続した表記が、日本語の用法として一般的でない――少数の事例を除いて――と言っているわけです。
- 「国王の兄弟姉妹を書く必要性」について
やはり私は内部リンクで飛べるのだから、敢えて書く必要はないと考えますし、『王代記』の記述でも各王の兄弟姉妹は記されていません。
議論が平行線なので、これ以上、この議論を新里さんのノートで続けるのは不適切と思います。議論を続けるならば、スタイルマニュアルで行った方がいいと思います。最後に、新里さんの専門知識には敬意を表していますので、是非今後も琉球史関連の記事でのご活躍を期待しております。--尚玉 2006年8月25日 (金) 03:14 (UTC)
[編集] 人間国宝#人間国宝の一覧にリンクをつけたいのですが
この節に名前の挙がっているかたがたはいずれも「名人」と呼ばれる方だと思うので、全部にリンクをつけたいと思います。おそらく、「リンク切れ」がたくさんできると思いますが、それは「本来あるべき項目がないので整備するべきであることを示している」と考えればよいと思います。1週間程度反対がなければリンクをつけたいと思いますので、「人間国宝」のノートにコメントをお願いします。Penpen 2006年9月25日 (月) 12:46 (UTC)
[編集] 舜天的祖母是日本妓女?
據琉球史書《中山世鑑》記載,舜天是日本皇室分支清和源氏的源為朝之子,這當然是「吹噓」的笑話。如果舜天真的是源為朝逃亡琉球與當地女性所生之子,那麼《中山世鑑》的編撰者就要接受一件「殘酷」的事情——就是舜天竟然是日本妓女的孫子!因為他的「生父」源為朝乃是其父源為義和一名「遊女」所生之子,而「遊女」的意思就是賣淫為生的女性。《中山世鑑》的編撰者如此對其「開國君主」舜天的身世這麼「吹噓」,那還真是弄錯對象哩!--陳魔扁 2007年2月10日 (土) 06:43 (UTC)
[編集] 台灣人真是光榮!琉球人真是可恥!
在此留言的我是一個台灣人,說真實的,我真的很光榮!我所居住的台灣是個主權獨立的國家,而你們琉球(所謂的「沖繩」)人卻心甘情願被可惡的日本流氓政府所統治,我們台灣人真是為你們琉球人感到可恥!--勇敢的台灣人 2007年4月25日 (水) 04:58 (UTC)