文聘
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文聘(ぶんぺい、生没年不詳)は、後漢末期に劉表に仕えた、後に魏の武将。字は仲業。子は文岱・文休がいる。
南陽郡の人。はじめ劉表に仕えた。劉表死後はその後継ぎとなった劉琮、そして劉琮降伏後は曹操に仕えた。文聘は曹操に呼び出されたとき、「荊州を守ることができなかったことが情けない」と涙を流し、この旧主に対する忠義を曹操は賞賛した。
長坂では劉備追撃の任をおっており、その後も武功を積み重ねたことから、曹丕の代に新野侯に封じられた。 226年、曹丕の死の隙を突いて、呉が襄陽に攻めてきたが、持久戦を以てこれを撃退している。
彼は江夏を数十年にわたって守備し続けたが、ついに江夏が陥落することはなかった。文聘の武勇や智謀は轟きわたり、誰も侵攻することができなくなったという。
三国志演義においては、赤壁の戦いの水軍の将をつとめ、また徐盛の計略によって大敗を喫した際に、曹丕を命がけで逃がす役を演じている。