文室巻雄
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文室巻雄(ふんやのまきお、弘仁元年(810年) - 仁和3年8月7日(887年))は、平安時代前期の武将。中納言文室綿麻呂の9男。子に茂典・房典がいた。
幼年から勇力あって読書を好まず、弓馬を習い騎射を得意とした。帯刀舎人から立身し、仁寿3年(853年)相模掾に任ぜられ、右兵衛大尉・播磨大掾・主殿権助・左衛門佐・左近権少将・伊予介・左近少将・美濃守・備前守・因幡守を歴任し、元慶6年(882年)相模守になったが、国守を辞して替わって息子の房典が近江少掾に補任された。仁和3年(887年)8月7日、散位従四位上で卒去。享年78歳だった。
巻雄は身体が至って敏捷で、ある時は牛車の牛の額を踏み、跳躍して車の後に降り立ち、また少将であった時、東宮御所の屋上を走る狐を追いかけて斬り殺すなど、勇猛比類なき人物であり、宿衛の勤めなどにおいては「当時に双びなし」と評された。