掩体壕
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掩体壕(えんたいごう)は、航空機を敵の攻撃から守るための格納庫。 「掩体」、「掩壕」とも言う。 通常は、コンクリート製でかまぼこ型をしており、内部に航空機を収納する。簡易なものは爆風・弾片よけの土堤のみであり、天井がないものもある。なお英語ではBunker(バンカー)と呼ばれ、名称上は武装拠点であるトーチカと区別されていない。
[編集] 日本における戦争遺跡としての事例
旧日本軍が第二次世界大戦中に構築した掩体壕が一部に残されている。これは、コンクリート製の大型構造物であり、取壊しが困難であったために、残されたものである。近年では戦争遺跡として保存措置が講じられているものもある。
- 1939年(昭和14年)に開設された調布飛行場(東京)の周辺に現在も遺構的に残存している。
- 高知空港近くの南国市に7基残されているという。[1]南国市が文化財に指定し、掩体壕について説明する看板を設置。
- 千葉県茂原市には現在も10基の掩体壕が残っており、そのうちの最大の大きさを持つ1基は茂原市の文化財に指定。[2]
- 松山空港の近傍には3基残されている。
- 旧熊本空港の近傍には数基残されている。
- 韓国・済州島南西部の大静洞には、日本海軍が日中戦争当時に建設した飛行場の跡に掩体壕が約20基残っている。済州特別自治道によって文化財指定される予定である。[3]
[編集] その他
その他に、倉庫として使用されている例もある。
例えば、米子空港(航空自衛隊美保基地)構内とその近傍には数基残っているが、一部は地元の農家が農機具・肥料倉庫として活用している。
(1番下の写真には倉庫として使用されている掩体壕がある。)[4]