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張 外龍(チャン・ウェリョン、장외룡、1959年4月5日 - )は、韓国出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
韓国ソウル市出身。元韓国代表選手。1982年W杯スペイン大会は予選で敗退。1986年W杯メキシコ大会は予選で左ひざを負傷し、本大会には出場できなかった。この怪我により、翌年1987年に28歳で一時は引退したが、1989年にPJMフューチャーズ(後にJリーグ入りを目指したが資金難で解散した鳥栖フューチャーズの前身)でコーチ兼選手として入団した経歴を持つ。
1999年には日本サッカー協会公認S級ライセンスを取得している。
[編集] 経歴
- 1982年:大宇ロイヤルズ入団、Kリーグ優勝(1984年)、アジアクラブカップ優勝(1985年)
- 1987年:大宇2軍コーチ
- 1988年:亜洲大学コーチ
- 1989年:PJMフューチャーズコーチ兼選手
- 1992年:PJMユース監督
- 1995年:鳥栖フューチャーズトップチームコーチ監督代行
- 1996年:鳥栖フューチャーズサテライト監督兼下部組織総監督
- 1997年:大宇ロイヤルズトップチームコーチ、Kリーグ優勝(1997年)
- 1999年:大宇ロイヤルズ監督代行
- 2000年:ヴェルディ川崎監督(※実質的な指揮は総監督の李国秀が行った)
- 2001年:コンサドーレ札幌コーチ
- 2002年:コンサドーレ札幌コーチ→監督(シーズン途中就任)
- 2003年:コンサドーレ札幌コーチ→監督(シーズン途中就任)
- 2004年:仁川ユナイテッドFCヘッドコーチ
- 2005年:仁川ユナイテッドFC監督
- 2006年:仁川ユナイテッドFC監督
- 2008年:仁川ユナイテッドFC監督
[編集] 代表歴
- 1978年:ユース代表、アジアユース優勝
- 1979年~1984年:韓国代表
- 1980年:アジア選手権準優勝
- 1981年:アジアオールスター代表
[編集] エピソード
- 札幌時代、張はユース出身で当時売り出し中だったFWの新居辰基に対する期待が大きく、新居のことをフランチェスコ・トッティ(ASローマ)の愛称になぞらえて「コンサドーレの王子」と称していた。だが、新居は張の期待に反して札幌では伸び悩んだまま、2004年8月に酒気帯び運転で事故を起こして解雇されてしまった。新居が本格的に開花するのはサガン鳥栖への移籍以降になった。
- 先代:
- ジョアン・カルロス
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- コンサドーレ札幌監督
- 2003途中-終了
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- 次代:
- 柳下正明
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