廉想渉
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廉想渉 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 염상섭 |
漢字: | 廉想渉 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
れんそうしょう |
片仮名: (現地語読み仮名) |
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ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
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文学 |
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廉 想渉(1897年8月30日 - 1963年3月14日)は朝鮮の小説家、言論人である。本名は尚燮。号は横歩。8人兄弟の3番に生まれた。朝鮮文学にはじめて自然主義という語を植え付け、朝鮮の自然主義文学の祖となった。
[編集] 年譜
- 1897年8月30日、漢城(現ソウル)の鍾路区積善洞に生まれる。
- 1907年9月、官立の師範付属普通学校に入る。
- 1909年、普成小学校に移る。
- 1910年、普成中学校入学
- 1911年秋、渡日。
- 1912年4月、東京の麻布中学校2年に編入学。中退して青山学院に入る。
- 1917年、京都府立第二中学校に編入学。
- 1917年、慶應義塾大学史学科に入学。
- 1919年、大阪天王寺公園で独立運動のデモ、10ヶ月の禁固刑に処される。
- 1920年春、帰国。東亜日報の政治部記者になる。
- 1920年10月、五山学校の教員になる。
- 1923年9月、週刊誌『東明』の編集長になる。
- 1925年、時代日報の社会部長と勤める。
- 1929年5月、金英玉と結婚。
- 1929年、朝鮮日報の学芸部長を務める。
- 1931年、長男、在瑢が生まれる。
- 1933年、長女、喜瑢が生まれる。
- 1936年、満州の長春で満鮮日報の主筆兼編集局長になる。
- 1938年、次女、喜英が生まれる。
- 1938年、満州の安東に一家で移り、大東港建設局の広報担当を勤める。
- 1942年、次男、在玹が生まれる。
- 1946年9月、帰国。京郷新聞の創刊で編集局長に就任する。
- 1947年、ソラボル芸術大学の初代学長を務める。
- 1963年3月14日、ソウル市城北区北洞145-52号の自宅にて盲腸ガンで他界。
[編集] 作品一覧
- 標本室의 靑개구리(1921年)
- 二心(1921年)
- 暗野(1922年)
- 사랑과 죄(1922年)
- 죽음과 그림자(1922年)
- 해바라기(1923年、後に「新婚期」に改題)
- 萬歲前(1923年、後に「墓地」に改題)、白川豊訳『万歳前』勉誠出版(2003年12月)
- 밥(1924年)
- 조그만 일(1924年)
- 잊을 수 없는 사람들(1924年)
- 金半指(1924年)
- 電話(1925年)
- 輪轉機(1925年)
- 孤獨(1925年)
- 狂奔(1930年)
- 三代(1931年)
- 無花果(1932年)
- 牡丹꽃 필 때(1934年)
- 不連續線(1935年)
- 解放의 아들(1946年)
- 曉風(1947年)
- 두 破産(1947年)
- 굴레(1947年)
- 令監家僧과 乭釗(1947年)
- 臨終(1948年)
- 一代의 遺業(1948年)
- 採石場의 小年(1949年)
- 暖流(1950年)
- 탐내는 하꼬방(1951年)
- 비스켙과 手榴彈(1951年)
- 驟雨(1952年)
- 紅焰(1953年)
- 해지는 보금자리 風景(1954年)
- 追悼(1954年)
- 威脅(1954年)
- 未亡人(1954年)
- 夫婦(1955年)
- 地平線(1955年)
- 후덧침(1956年)
- 짖지않는 개(1956年)
- 어머니(1956年)
- 父性愛(1956年)
- 자취(1956年)
- 젊은 世代(1956年)
- 댄스(1957年)
- 死線(1957年)
- 絶穀(1958年)