平将門の将、采女時貞の大蛇退治
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平将門の将、采女時貞の大蛇退治(たいらのまさかどのしょう、うねめのときさだのだいじゃたいじ)は千葉県船橋市金杉に伝わる将門伝説の一つである。
[編集] あらまし(訳)
少し前の天慶年間(938~942)は平親王将門公は関東をおさめなさりました。采女時貞は当所(金杉)の領主で、強豪、英俊、常に狩や漁で鍛え、その兵もまた強豪だったと言います。ところで、金曾木(金杉のこと)山中に大蛇がいて、しきりに村人に被害を与えるので村人は皆恐れていました。時貞は、これを聞いて、激怒しました。そして三人の家来を引き連れて山中にさしかかると突然大蛇があらわれて襲ってきました。両眼は松明、舌は火炎のようでした。家来はみな怖がって地面に伏せていました。時貞はひとり大蛇の背中に飛びのり、またがったまま刀をふるって首を切り落としました。首はもんどりうって転がり松の幹に噛みついたまま離れなくなりました。尾はまだ生きていて樹木を倒したりしていましたがついに動かなくなりました。村人は祟りを恐れて大蛇の屍を埋め、丁重に祠を1つ建てて金曾木明神と名づけました。時貞はこれを聞いて、家来に命じて祠に火をつけ綺麗に燃やしてしまったそうです。時貞はこの後、平将門に従い大いに秀郷軍と戦い、将門は戦死しました。その後、時貞は民間に潜んだまま生涯を終えたといいます。(原文は漢文となっています。)
[編集] 補足
金杉には他に大蛇の話があり、船橋市立馬込霊園の下のあたりに天神ざくには白い大蛇が、高根とグリーンハイツの間の谷津の狼ざくには黒い大蛇がいたという逸話もあるらしい。村の人の話では天神ざくには、いつも蛇がいて、この天神さまは馬込駅前に移されて馬込の鎮守に成っているとのこと。
[編集] 参考文献
- 船橋市広報,山名寛龍,昭和1952年3月
- 金杉の歴史,著者天下井 恵,1983年3月