帝塚山
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帝塚山(てづかやま)は、大阪市の阿倍野区南部から住吉区北部にかけての地域の名称である。
明治時代に高級邸宅街として開発され、地域としては、帝塚山、北畠、万代、姫松などを含み、路面電車の上町線の走る瀟洒な街並みを持つ。
現在も兵庫県の芦屋に代表される阪神間の高級住宅街と共に関西屈指のお屋敷町であり、特に表通りから一歩中に入ると鬱蒼とした大邸宅が並んでいる。 大阪を代表するお嬢様学校として有名な帝塚山学院があるが大学部は大阪府下に移転した。
地名の帝塚山の元は帝塚山古墳であり、住吉に邸宅を構えていた古代の大伴氏の大伴金村とその子の墓とされている。
帝塚山は古代には海が望まれる風光明媚な住吉大社の社前に続く高台の地として豪族の館や別邸が営まれてきた地であり、大伴氏の住吉館もその一つ。