岩波茂雄
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岩波 茂雄(いわなみ しげお、1881年8月27日 - 1946年4月25日)は、日本の出版人、岩波書店創業者。
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[編集] 経歴
長野県諏訪郡中洲村(諏訪市中洲)出身。農家の長男。尋常小学校、高等小学校をへて、1895年(明治28年)には諏訪実科中学校(現・諏訪清陵高)へ入学。在学中には父が死去し、戸主となる。母を助け農業をしていたが1899年に上京し、日本中学に入学。翌年には卒業し、1901年、杉浦重剛を慕い第一高等学校に入学する。藤村操の自殺に影響を受け落第し、試験放棄のため除名中退処分となる。再起して1905年東京帝国大学哲学科選科に入学。この頃には内村鑑三の影響を受け、1906年には結婚。
神田高等女学校(現在の神田女学園)に奉職するも教師としての自信喪失し退職。1913年(大正2年)、神田区南神保町に古本業岩波書店を開く。破格の正札販売を実施、古書店から出発し、夏目漱石の知遇を得て1914年には「こゝろ」を出版。これは自費出版であったが、岩波書店の処女出版と位置付けられる。漱石没後は安倍能成らと「漱石全集」を刊行した。
『思想』(1921年)『科学』(1931年)『文化』(1934年)などの雑誌や、1927年(昭和2年)には「岩波文庫」を創刊。1940年には学徒及び篤学の学者、研究者を援助する目的で財団法人「風樹会」を設立。同年、津田左右吉の著作『古事記及日本書紀の研究』他4点が発禁処分となった事件では発行元として、津田と共に出版法違反で起訴。1942年に有罪判決、上告中の1944年免訴となる。
1945年3月には補欠選挙で貴族院議員に当選するが、同年9月には脳出血で倒れる。翌年には雑誌『世界』が創刊され、文化勲章も受けるが、同年に64歳で死去。戒名は文猷院剛堂宗茂居士。墓所は鎌倉・東慶寺。
[編集] 略歴
- 1913年8月5日:岩波書店創業。
- 1914年:夏目漱石の「こころ」を出版(岩波書店の処女出版)。
- 1921年:「思想」創刊。
- 1927年:岩波文庫創刊。
- 1933年:岩波全書創刊。
- 1938年:岩波新書創刊。
- 1945年:貴族院議員当選。
- 1946年2月:文化勲章を受章。
- 1946年4月:逝去。
[編集] 参考文献
- 岩波茂雄伝 安倍能成 1957年
- 惜櫟荘主人 小林勇 1963年
- 岡茂雄「岩波茂雄さんとの出会い」『本屋風情』平凡社、1974年、224~228頁。
- 司馬遼太郎「哲学書肆」『本所深川散歩・神田界隈』街道をゆく36、司馬遼太郎、朝日新聞社、1992年。
- 司馬遼太郎「三人の茂雄」(同上所収)。
- 東京刑事地方裁判所編『津田左右吉岩波茂雄出版法違反予審終結決定書』1941年。
[編集] 作品
- 読書子に寄す - 岩波文庫発刊に際して(青空文庫)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 岩波 茂雄:作家別作品リスト(青空文庫)
- 岩波茂雄について
- 信州風樹文庫(岩波茂雄記念館を併設)