岡田弘隆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オリンピック | ||
---|---|---|
男子 柔道 | ||
銅 | 1992 | 86kg級 |
岡田 弘隆(おかだ ひろたか、1967年2月22日 - )は、岐阜県揖斐郡大野町出身の柔道家。得意技は小内刈り、大内刈り、大外刈り。身長170cm。
[編集] 来歴
大野小5年から柔道を始める。大野中学校、大垣日大高校と進み、高校3年時の1984年にインターハイ個人戦軽重量級優勝。
筑波大学に進学。1986年、嘉納杯78kg級優勝、1987年、全日本選抜体重別選手権78kg級優勝、エッセン世界選手権78kg級優勝、1988年、全日本選抜体重別選手権78kg級優勝などの実績を残し、ソウルオリンピックに出場。しかし、78kg級で3回戦敗退に終わる。
大学卒業後はマルナカに所属し、同時に1993年まで筑波大学大学院に在籍。1990年、全日本選抜体重別選手権86kg級優勝、講道館杯86kg級優勝、アジア大会86kg級優勝。1991年、全日本選抜体重別選手権86kg級優勝(2連覇)、バルセロナ世界選手権86kg級優勝。1992年、全日本選抜体重別選手権86kg級優勝(3連覇)と輝かしい実績を残す。しかしバルセロナオリンピックでは、頭を剃り上げ気合を入れて臨んだものの本来の力を発揮できず、86kg級で銅メダルに終わった。
その後、1992年講道館杯86kg級優勝、1995年ドイツ国際86kg級優勝。1995年12月に引退を表明し、筑波大職員、柔道部監督となった。1997年から1年間イギリスに留学。
現在は筑波大講師、筑波大柔道部監督、全日本柔道連盟強化コーチとして後進の指導にあたっている。
2000年シドニーオリンピック男子柔道100kg超級決勝・篠原信一対ダビド・ドゥイエ戦がNHKでテレビ中継された時の解説をしていた。「これは誤審です」「明らかな誤審です」と怒りをあらわにした。
[編集] エピソード
- 1994年の全日本体重別選手権86kg級で、若手のホープ中村佳央と対戦。試合中盤、中村に腕ひしぎ十字固めを極められ、その完璧な体勢、中村の圧倒的なパワーで勝負あったと思われたが、岡田は完全に極められた体勢のままでも決して「参った」の合図をしなかった。岡田は耐え抜き、ついに主審は「待て」を宣告。その結果、靭帯は切れ、脱臼、剥離骨折と左腕は完全に壊れてしまった。結果は岡田の優勢負けだった。後年、中村はこの試合を振り返り、「とにかく岡田さんの精神力に感服した。勝負に情けは禁物だが、折れるまで力を込めなかった自分も正解だと思っている」と述懐している。