山路主住
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山路 主住(やまじ ぬしずみ、宝永元年(1704年) - 安永元年12月11日(1773年1月3日))は、江戸時代中期の和算家(数学者)、天文学者である。弥左衛門と称し、連貝軒と号した。
中根元圭、松永良弼らに関流の和算を学んだ。師の中根元圭が、徳川吉宗の側近として西洋暦による改暦を目論んでいたこともあり、宝暦の改暦では、天文方西川正休の手伝として上京している。しかし、改暦では西洋暦が取り上げられることはなく、結果として宝暦暦は貞享暦の改変に留まった。
改暦後は、天文方にも任命されており、息子である山路之徽や仙台の門人である戸板保佑らと共に西洋暦の研究にあたり、崇禎暦書による西洋暦を完成させている。この暦は天文方山路家、吉田家などで検証が行われていたが、後の寛政の改暦では、麻田剛立らの研究していた暦象考成後編による西洋暦の方が優れていたことから採用されることはなかった。
また、関流の和算を集大成し免許制度を確立するなど、関流和算を広く普及させるための基盤を作り上げており、藤田貞資、安島直円など、関流の発展に大きな影響を及ぼした門人を多く輩出している。