貞享暦
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貞享暦(じょうきょうれき)とは、かつて日本で使われていた太陰太陽暦の暦法である。初めて日本人の手によって編纂された和暦である。
渋川春海の手によって完成したもので、貞享元年10月29日(1684年)に採用が決定した。翌貞享2年(1685年)から使用され、70年間使用された後、宝暦5年(1755年)に宝暦暦に改暦された。
渋川春海は、中国の授時暦を元に自ら観測して求めた日本と中国との里差(経度差)を加味して、日本独自の暦法を完成させ、大和暦(やまとれき)と命名した。当時使われていた宣明暦は、800年以上もの長きに亙って使われたため誤差が蓄積し、実際の天行よりも2日先行していた。また、各地で独自に宣明暦に基づいた暦(民間暦)が発行され、それらの中には日付にずれが生じているものもあり、暦の全国統一をする必要があった。朝廷は、当時明で使われていた大統暦に改暦する予定であり、貞享元年の3月3日には大統暦改暦の詔まで出されていたが、渋川春海が採用を願い出た大和暦を採用することとし、当時の元号から「貞享暦」と命名した。渋川春海はこの功により、幕府から新設の天文方に任命された。
なお、800年ぶりの改暦は当時話題となり、井原西鶴は『暦』、近松門左衛門は『賢女手習並新暦』を執筆している。
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