山本郡 (出羽国)
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[編集] 歴史
『日本三代実録』870年(貞観12年)12月8日条に郡名が初めて見えることから、平安時代初期に平鹿郡から分離したと推定されている。
その後、南隣の平鹿郡、その南の雄勝郡とともに山北三郡と呼ばれ、『吾妻鏡』では仙北山本郡とされ、その後中世を通じて北部を仙北北浦郡、南部を平鹿郡と合わせて仙北中郡と呼ぶこともあった。近世に入り、佐竹氏が入部し領内の郡制を整備した際に仙北郡に呼称が統一され、これと同時に中世の檜山郡が山本郡と改称された。
なおこれらの郡名の混乱の原因は、副川神社(国内最北の式内社)の比定地を政治的な理由により変更した佐竹氏の神社行政にあると見る見解がある。
[編集] 関連項目
- 消滅した郡の一覧
- 山本郡 (曖昧さ回避) - そのほかの山本郡。