山口県立豊浦高等学校
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過去の名称 | 藩校敬業館 (旧制)豊浦中学校 (旧制)長府中学校 下関東高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山口県 |
併合学校 | 長府女子高等学校 (のち長府高等学校として分離) |
校訓 | 校訓三綱 (至誠一貫、進取向上、自治協同) |
設立年月日 | 1792年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 |
設置学科 | (全日制)普通科 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒752-0984 |
下関市長府宮崎町1-1 北緯33度59分29.3秒東経130度59分32.8秒 |
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電話番号 | 083-245-2161 |
FAX番号 | 083-245-2162 |
外部リンク | 公式サイト |
山口県立豊浦高等学校(やまぐちけんりつとよらこうとうがっこう)は、山口県下関市長府にある公立の高等学校。読み方はとようらではなくとよらである。2003年までは全国的に珍しい公立の男子校であった。
目次 |
[編集] 沿革
- 寛政4年(1792年)5月 長府藩毛利匡芳、長府侍町に藩校敬業館を設立
- 明治13年(1880年)6月 県立豊浦中学校と改める
- 明治17年(1884年)2月 山口中学校豊浦分校と改称
- 明治34年(1901年)5月 山口県立豊浦中学校と改称
- 大正12年(1923年)4月 山口県立長府中学校と改められる
- 昭和6年(1931年)7月 山口県立豊浦中学校に校名が復旧する
- 昭和23年(1948年)4月 新教育制度により山口県立豊浦高等学校となる
- 昭和24年(1949年)4月 長府女子高等学校と統合し、山口県立下関東高等学校と改称
- 昭和26年(1951年)4月 定時制王喜、東部分校を厚狭高、下関西高から本校に移管
- 昭和28年(1953年)3月 定時制東部分校を廃止
- 昭和29年(1954年)4月 下関東高等学校を解消、長府高等学校と分離し、山口県立豊浦高等学校と改称
- 昭和42年(1967年)3月 王喜分校を廃止し、本校のみの学校となる
- 平成11年(1999年)10月 創立100周年記念事業
- 平成15年(2003年)4月 男女共学となる
- 平成17年(2005年)4月 新校舎完成
- 平成17年(2005年)12月 体操場・卓球練習場(第二体育館)が完成
[編集] 学科
[編集] 出身者
太字は故人
- 乃木希典(元帥、陸軍大将)
- 阿部宗孝(教育者)
- 坂本実(衆議院議員)
- 湯浅倉平(宮内大臣、会計検査院長、内務次官)
- 河本文一(枢密顧問官、会計検査院長)
- 藤井五一郎(公安調査庁長官(昭和27年)、大審院判事、東京地裁判事(血盟団事件))
- 江島淳(参議院議員、国鉄広島鉄道管理局長)
- 林義郎(厚生大臣、大蔵大臣、通産官僚出身)
- 八尋俊邦(中退)(三井物産会長)
- 花原勉(レスリング金メダリスト)
- 細川俊之(俳優)
- 井原陽介(NHK福岡放送局アナウンサー)
- 和田安生(KBC九州朝日放送元アナウンサー)
- 井川弘宜(YAB山口朝日放送アナウンサー)
- 織田浩司(オリタ・ノボッタ)(サックス奏者・米米クラブ)
- 佐々部清(映画監督)
- 波田陽区(お笑いタレント)
- 永見武司(パ・リーグ前審判部長)
- 和田薫(作曲家)
- 中川和之(バスケットボール選手)
- グ・スーヨン(作家・映画監督・CMディレクター)
[編集] エピソード
- 校歌 幻の1番
- 本校の校歌は3番まであるが、式典等の公の行事も含めて1番は飛ばして2番以降のみを歌うため、1番は"幻の1番"と言われている。
- 乃木将軍の~など個人名が含まれている上、歌詞の内容に戦前の色が濃いことが原因ではないかと言われているが、はっきりとした理由は不明。
- なお、書類上では1番は残っており、卒業アルバムなどの書面上では3番までの歌詞がきちんと記述されている。同窓会総会では1番から歌われる。
- 修学旅行
- 本校には修学旅行がない。修学旅行にあたる宿泊を伴うものは存在するが、訓練という趣旨で行われるため、娯楽の要素が非常に少ない。
- 修学旅行がない理由について、諸説がありながら明確な理由は明らかになっておらず、長く在校生及び市内学生の噂の元になっている。