屋我地島
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屋我地島(やがじしま)は、沖縄本島北部にある島。1946年から1970年には島一円で屋我地村という村だった。
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[編集] 地理
沖縄本島北部に位置し、羽地内海に浮かぶ島。沖縄県名護市に属し、市の中心部から約10kmあり、市の北西部にあたる(島の最北端は市の最北端にあたる)。沖縄本島とは屋我地大橋で結ばれており、さらに古宇利大橋で今帰仁村に属する古宇利島と結ばれている。現在今帰仁村運天側の本島との架橋が建設中である(2010年頃開通予定)。島内には、済井出・饒平名・屋我・運天原・我部の5つの集落があり、饒平名に名護市役所の支所と郵便局が置かれている。
[編集] 生物
屋我地島の饒平名の干潟には、高さ10mを超えるオヒルギ(マングローブ植物)が生育している。そのほかにも、3種類のマングローブ植物が生息しており、生き物の宝庫となっている。また、干潟域を中心にシギ・チドリ等の渡り鳥が飛来し、周辺の岩礁帯帯ではベニアジサシやエリグロアジサシの繁殖が確認されている[1]。そのため、1976年(昭和51年)11月1日に屋我地島全域と周辺海域、羽地内海が国指定屋我地鳥獣保護区(集団渡来地)に指定されている(面積3,280ha、うち特別保護地区1,001ha)。
[編集] 歴史
- 1908年4月 島嶼町村制施行に伴い、島全域が羽地村に属する(それまでの間切制時代も島全域が羽地間切に属していた)
- 1938年11月 国立療養所沖縄愛楽園(当時は沖縄県立国頭愛楽園)が開園
- 1946年5月 羽地村から分村し屋我地村となる
- 1953年 初代屋我地大橋が開通(それまでは今帰仁村の運天港から定期船が出ていた)
- 1960年 チリ地震津波により(初代)屋我地大橋の上部が流失
- 1963年 2代目屋我地大橋完成
- 1970年8月 屋我地村が名護町・屋部村・羽地村・久志村とともに合併し名護市となる
- 1993年3月 3代目となる現在の屋我地大橋が完成(先代の老朽化と幅員が狭小であるため)
- 1986年 NHKラジオ第1の名護中継局が設置される
- 2001年 運天原にテレビの中継局が設置される
- 2005年2月 今帰仁村古宇利島とを結ぶ古宇利大橋が開通
[編集] 産業
[編集] 教育
- 名護市立屋我地小学校
- 名護市立屋我地中学校
[編集] 交通
[編集] 路線バス
- 名護バスターミナルより運天原行きの屋我地線(系統番号72番)が1日数往復、琉球バス交通と沖縄バスにより共同運行されている。なお2005年に古宇利大橋が開通した古宇利島への路線バスは運行されていない。(参考:バスマップ沖縄)
[編集] 道路
- 沖縄県道110号線(市内を縦断する国道58号から入り、屋我地大橋を通って島を循環している島内の幹線道路)
- 沖縄県道125号線(島の中心部饒平名から沖縄愛楽園へ通じる島内の横断道路)
- 沖縄県道247号古宇利屋我地線(古宇利大橋を通じて古宇利島とを結んでいる)
- 沖縄県道248号屋我地仲宗根線(今帰仁村側の本島を結ぶ予定で「ワルミ大橋」が計画されている)
[編集] 放送・通信
[編集] 放送
- 島内にNHKラジオ第1の中継局が設置されており、ここから本島北部全域をカバーしている(周波数531kHz)。本島北部では唯一のAMラジオの中継局(ラジオ第2は中継局を設置していない)。
- 民放AMラジオ(RBCiラジオ・ラジオ沖縄)は島からも見える市内の多野岳からFMによる中継局から、NHKFMとFM沖縄は今帰仁村の今帰仁テレビ・FM中継局から受信している。
- テレビ放送はたいてい今帰仁村の今帰仁テレビ・FM中継局から受信しているが(中には豊見城市の親局から受信している世帯もいる)、運天原では地形上受信しづらい世帯があるため2000年に運天原テレビ中継局(出力0.1Wのミニサテライト局)が設置された。
[編集] 通信
- 郵便局は饒平名と沖縄愛楽園内に簡易郵便局が設置されている。饒平名にある屋我地郵便局はかつては集配業務も行っていたが、現在は市内本島側の羽地郵便局が島内の集配をカバーするようなったため無集配となった。
- 島内の郵便区番号(旧郵便番号)は屋我地郵便局が集配業務していたころと同じ「905-16」のままで、現在の郵便番号は「905-163x(xは1~5)」となっている。
- 固定電話の電話番号は市外局番が島内も含め市内全域0980となっており、市内局番が51・52が割り当てられており(ほかにも割り当てられている番号あるが島内ではこの2つのみ)、さらに島内では4桁の加入者番号頭1桁が「51」の場合は4、「52」の場合は8・9がそれぞれ割り当てらている。
- 携帯電話は県内をエリアとしているすべての携帯電話会社で使用可能だが、一部地域で一部の会社の通話エリアから若干外れているため通話困難な地域もある。
- ウィルコムのAIR-EDGEの通信も可能
- 現在、ADSLや光ファイバーなどのブロードバンド回線は通っておらず。ISDNが最も早いデータ通信回線である。今のところ屋我地島へのブロードバンド回線の設置が計画されていない。沖縄県など行っている、離島ブロードバンド整備事業などの対象などにもなってはいない。情報特区として名乗りを上げている名護市も本腰を入れて、この島の情報インフラストラクチャーの整備に取り組もうという姿勢は見せていない。与那国島や渡嘉敷島、伊江島などの離島で、ブロードバンドが整備されていっている今日においては、完全に孤立しており、まさに「デジタル・ディバイド(情報格差)」の例としてふさわしい島である。
[編集] 主要施設・観光スポット
- 名護市役所屋我地支所(饒平名・名護市に合併する前は屋我地村役所だった)
- (沖縄が1972年に本土復帰する前は町村も「役場」ではなく、市と同様「役所」と呼ばれていた)
- 屋我地郵便局(饒平名・最近まで集配業務も行われていたが現在は市内本島側の羽地郵便局の管轄となり無集配となった)
- 国立療養所沖縄愛楽園(済井出)
- 屋我地ビーチ(屋我)
- 屋我地荘(済井出)
- NHKラジオ名護中継局(運天原・ラジオ第1のみ)
- 済井出漁港(仮名) 済井出地区の海岸に建設された、大きな漁港。古宇利大橋からもその存在がはっきりと見える。まだ建設中だが、釣りのスポットとしてそれなりに定着しそうである。漁港建設以来、砂の流出が続き、現在砂浜は削れ、砂浜は倒木だらけという無残な姿と化している。
[編集] 名所・旧跡
- オランダ墓(運天原)
- サバヤ貝塚(運天原)
[編集] 屋我地島出身の有名人
- 玉城知尚(大相撲、間垣部屋)
- 玉城知幸(大相撲、間垣部屋)
[編集] 脚注
- ^ 環境省報道発表資料 『国指定屋我地鳥獣保護区屋我地特別保護地区指定計画書(案)』 2006年8月21日