小笠原長煕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小笠原 長煕(おがさわら ながひろ、元禄3年4月16日(1690年5月24日) - 宝暦2年3月21日(1752年5月4日))は、武蔵岩槻藩の第2代藩主。遠州掛川藩の初代藩主。岩槻藩初代藩主・小笠原長重の次男。正室は松平頼貞の娘。官位は従五位下。壱岐守。佐渡守。山城守。
宝永7年(1710年)5月18日、父の隠居により後を継いだ。宝永8年(1711年)2月11日、岩槻から掛川に移封される。その後は掛川藩の藩政確立に尽力し、享保7年(1722年)には大井川と天竜川の治水工事を行なっている。元文4年(1739年)4月16日、養嗣子の小笠原長庸に家督を譲って隠居し、宝暦2年(1752年)3月21日に63歳で死去した。法号:貞山崇元乾享院。墓所:東京都文京区本駒込の龍光寺。
|
|
|
|
|
|