奥日光
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奥日光(おくにっこう)は栃木県日光市の日光いろは坂の上の地域を総称する俗称である。標高が1,300m弱から1,575mと高く、夏でも冷涼な気候であり下界が梅雨の雨などの場合でも晴れていることがあるなど、避暑地として人気が高い。自然景勝地が多く、それらを結んだトレッキングコースが良く整備されている。日本の秘境100選に選定されている。
また2005年(平成17年)11月8日、「奥日光の湿原」としてラムサール条約に登録された。
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[編集] 「奥日光」という名称の由来
[編集] 「日光」の歴史は「二荒山(男体山)」の歴史
「日光」は「二荒(男体)山」が由緒となる。すなわち、奈良時代後期に勝道上人によって開山され「二荒(ポタラク)山」として信仰を集め、平安時代に入り空海によって「二荒=にこう=日光」と改められて「日光」となった。伝説においても日光神橋は山菅蛇橋が由緒、また日光戦場ヶ原は日光神(大蛇)と赤城神(むかで)が雌雄を決して戦った由緒地となっている。こうした歴史に準じ、事実上、「二荒山(男体山)」はもとより、二荒山に関連する二荒山神社、神橋、いろは坂、華厳滝、中禅寺湖、戦場ヶ原等には自ずと「日光」が冠されている。
[編集] 観光地としての「日光」
現代になって、日光の寺社地にも高規格の舗装道路が整備されてきた[1]。これに伴い日光の寺社地内の景勝地にも全国から観光客が訪れるようになり、観光地化が進んだ。観光地としての総称「日光」には、日光市街の二社一寺はもとより、いろは坂、明智平、華厳滝、中禅寺湖、中禅寺温泉、竜頭の滝、戦場ヶ原、小田代ヶ原、光徳牧場、切込湖、刈込湖、湯滝、湯ノ湖、湯元温泉などが含められてきた。
[編集] 「奥日光国有林」を源泉地とする「奥日光湯元温泉」
日光市域には国有林地として管理されている地域がある。その一つとして、日光市大字日光字奥日光国有林があり、公式な地区名として唯一「奥日光」が割り当てられた例となっている。国有林地は、事業等のために貸し付られた地区を除いては、地内への無断立ち入りが禁じられており、立ち入りの際には目的に応じて事前の届出または許可が必要となる。
一方、勝道上人によって発見されたと伝えられる日光湯元温泉は一時廃れていたが、現代の自動車社会の到来に伴う温泉ブームに乗って1973年(昭和48年)に再建され、唯一「奥日光」を冠する旅館、ホテルを抱える温泉地となっている。施設名に「奥日光」を冠するのは、「日光湯元温泉」の源泉地が日光市湯元に隣接する「大字日光字奥日光」の国有林地となっていることにある。日光湯元温泉の源泉は、それより20年ほど遡る1951年(昭和26年)に、源泉より12km下った中禅寺湖畔に立地する中禅寺温泉の各温泉施設に引き込まれ、温泉施設として人気を博していたが、現在もその施設名に「奥日光」を冠する例は無い。戦場ヶ原にほど近い光徳温泉の日光アストリアホテルも1987年の開業当時より「日光湯元温泉」の源泉を引き込んで温泉施設を営業しているが、施設名に「奥日光」は冠していない。
[編集] 「奥日光」を冠する施設、情報サイト
現在、「奥日光」を冠する主な施設は以下のとおりである。「日光湯元温泉」の銘銘は上記のとおりであり、また、2003年(平成15年)4月1日にそれまでの「日光特別地域気象観測所」(気象庁、無人施設)から名称変更された「奥日光特別地域気象観測所」は、気象情報として中禅寺湖畔の標高約1,200mの気象データが麓の日光市街の気象データとして誤認される可能性を廃するために行われた改善策であり、例外的な銘銘と位置づけられる。なお、中禅寺湖畔の官公庁関係施設は、近年の改組により「日光」から「奥日光」へと名称変更される例が散見される。
- 観光関係団体
- 官公庁関係
この他、「奥日光は日光いろは坂より上の地域である」ことを前面に打ち出している関係団体のホームページとして、以下のものが挙げられる。
- 観光関係団体
- 個人
- 官公庁
[編集] 景勝地・観光地
[編集] トレッキングコース
各種トレッキングコースが整備されている。以下、代表的なコースを掲載する。
- 光徳牧場~切込湖・刈込湖~湯ノ湖
- 湯元~湯ノ湖(南岸、北岸)~湯滝~戦場ヶ原(湯川沿い)~竜頭ノ滝
- 千手ヶ浜~西ノ湖~小田代原~泉門池
- 菖蒲ヶ浜~中禅寺湖北岸~千手ヶ浜
- 千手ヶ浜~中禅寺湖南岸~中禅寺
[編集] 交通
[編集] アクセス
[編集] 低公害バス
戦場ヶ原・赤沼~小田代原~千手ヶ浜間は、一般車輌の通行は制限されており、低公害のハイブリッドバスが運行されている。