大阪市立弘治小学校
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過去の名称 | 西成郡今宮尋常小学校 西成郡今宮第一尋常小学校 大阪市今宮第一尋常小学校 大阪市弘治国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
設立年月日 | 1898年3月 |
創立記念日 | 7月15日 |
創立者 | 西成郡今宮村 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒557-0016 |
大阪市西成区花園北2丁目16番26号 | |
電話番号 | 06-6631-2811 |
FAX番号 | 06-6631-1412 |
外部リンク | 公式サイト未開設 |
大阪市立弘治小学校(おおさかしりつ こうじしょうがっこう)は、大阪府大阪市西成区にある公立小学校。
校名の「弘治」は、16世紀半ばの元号・弘治に由来する。1941年の国民学校への改称の際、大阪市の小学校では従来の創立順の番号での校名をやめて地名などを取り入れた名称とすることにした。その際、学校所在地の旧西成郡今宮村が中世には漁村として栄え、宮中に大鯛を献納する役割を担っていたことで、1557年(弘治3年)4月に後奈良天皇が村に対して感謝の意を示す文書を出したという故事から、時の元号・弘治を学校名として採用した。
目次 |
[編集] 沿革
今宮村には明治時代初期の1873年に第六大区一小区第一番今宮小学校が設置された(現在の浪速区・大阪市立恵美小学校)。しかし1896年の大阪市の第一次市域拡張により、今宮村の北部が大阪市に分割編入されたため、村北部にあった小学校は大阪市立に移管されて恵美小学校となった。今宮村として残った地域には学校がなかったため、児童は引き続き恵美小学校に通学していた。
村の分割後最初の小学校として創設されたのが、現在の弘治小学校にあたる。現在の大阪市立今宮小学校の場所で開校したが、1906年に現在地に移転している。
- 1898年3月 - 西成郡今宮尋常小学校として創立。
- 1906年 - 現在地に校舎竣工。移転。
- 1915年 - 西成郡今宮第二尋常小学校(現在の大阪市立長橋小学校)を分離。
- 1917年 - 従来の校区の一部を、新設の西成郡今宮第三尋常小学校(現在の大阪市立萩之茶屋小学校)へ分離。
- 1921年 - 従来の校区の一部を、新設の西成郡今宮第四尋常小学校(現在の大阪市立今宮小学校)へ分離。
- 1922年 - 従来の校区の一部を、新設の西成郡今宮第五尋常小学校(現在の大阪市立橘小学校)へ分離。
- 1925年4月1日 - 大阪市に編入されたことに伴い、大阪市今宮第一尋常小学校と改称。
- 1927年 - 従来の校区の一部を、新設の大阪市今宮第六尋常小学校(現在の大阪市立松之宮小学校)へ分離。
- 1934年9月21日 - 室戸台風で校舎半壊。
- 1938年 - 従来の校区の一部を、新設の大阪市梅南尋常小学校(現在の大阪市立梅南小学校)へ分離。
- 1941年4月1日 - 国民学校令により、大阪市弘治国民学校に改称。
- 1944年9月19日 - 泉南郡熊取村(現・熊取町)、日根野村・大土村・上之郷村(以上、現在の泉佐野市)に集団疎開。
- 1947年4月1日 - 学制改革により、大阪市立弘治小学校に改称。
[編集] 通学区域
- 大阪市西成区 旭1丁目の一部、鶴見橋1丁目の一部、梅南1丁目の一部、松1丁目の一部、花園北2丁目の一部、花園南2丁目の一部。
- 卒業生は基本的に大阪市立今宮中学校に進学する。