大空テント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テント | |||
---|---|---|---|
本名: | 三浦 得生(みうら とくお) | ||
コンビ名: | 大空テント・幸つくる(1981年) | ||
事務所: | テントハウス | ||
国籍: | 日本 | ||
出身地: | 大阪府八尾市 | ||
生年月日: | 1951年5月16日(57歳) | ||
活動時期: | 1974年 - 現在 | ||
受賞歴 | |||
・1981年 NHK上方漫才コンテスト優秀賞 |
大空テント(おおぞら-、現在はテントに改名、1951年5月16日 - )は、大阪府八尾市出身の漫談家、タレント。松竹芸能、吉本興業を経て、現在は「テントハウス」所属。本名、三浦得生(みうら とくお)。
「お笑い界のツチノコ」と評される。[1]
目次 |
[編集] 来歴・人物
1974年11月11日11時11分、新世界の新花月で初舞台(「ナンバ壱番館」再現VTRより。舞台袖で腕時計を身ながら、この時間になるのを待って舞台に出たという話である。)(実家の)テント屋の修行などを経て1981年、上岡龍太郎に弟子入り。同年、漫才コンビ「大空テント・幸つくる」を結成しNHK上方漫才コンテストで優秀賞を受賞、一躍脚光を浴びたが、数年後に解散。その後ピンとして活動。
上岡曰く「出てくるのがあと10年早かった」と言われ「21世紀型芸人」の異名を持つ。
明石家さんまがなぜか年に数回真似をする(クイズ番組の司会《オープニングとエンディング、間は素》)。
もともと「ギャグが滑るさま」が笑いを誘うというタイプであり、「テントさんの芸が面白い」というよりも「テントさんが芸をしているところが面白い」という、カルトな人気を持つ芸人だったが、90年代の終わりごろから口コミで話題になるようになり、一時期、小ホールなどで行なう彼のライヴのチケットは即完売し、手に入りにくいという状況になったことがある。また、東京・新宿にある吉本興業の劇場「ルミネtheよしもと」にも稀に出演し、「7じ9じ」のネタコーナーのトリを務めたこともある。
現在は吉本興業からは独立した形となっているが、2007年末には吉本制作の年末恒例の特番「オールザッツ漫才」に出演、オープニングで持ちネタの「人間パチンコ」を披露するなど、忘れかけた頃に吉本関連の番組に顔を出すなどしている。
[編集] エピソード
持ちネタである「蜘蛛の決闘」は手を蜘蛛に見立てて左右の手で闘わせるネタであるが、テント本人でもどちらの手が勝つかわからない位、熱中してしまうらしく、上岡が左手に千円賭ける、と言った時に左手の蜘蛛が勝ってしまったと言う逸話が残っている。上岡にとっては千円でもテントにとっては大金で...あると推測される為、賭け金が支払われたかどうかは定かでは無い。他にも「人間パチンコ」というネタがあるが、これもフィーバーになるかわからない。
本人はあまり積極的に営業をかけるほうではなく、一時期は週休6日の状態(週に1日だけ働いて、残りの6日はオフ)だったこともある。上岡が語ったところによると、確定申告をしに税務署へ行ったところ収入が48万円しかなかったため、係員に「ここに来るよりも民生委員のところに行きなさい」と言われたことがあるという。
あまり知られていないが、昔の寄席芸人についてかなり深い知識を持つ。師匠・上岡龍太郎が長年DJを務めていた「歌って笑ってドンドコドン」にゲスト出演したときなどには、芸歴でははるかに長い上岡自身でも覚えていないような昔の寄席芸人や、その芸人の持つエピソードを聴くことができた。
1990年3月に「鶴瓶上岡パペポTV」の企画で、笑福亭鶴瓶と上岡龍太郎が大阪市東住吉区の長居公園の相撲場において相撲の五番勝負「嵐の春場所」を行なうことなったが、当日都合のためドタキャンした上岡龍太郎が、彼を自身の代わりに「剛の者」として送りこんだ。結果は5戦全敗。また、翌週の「鶴瓶上岡パペポTV」の収録の前説にも、締め込みに化粧回しという姿で5分ほど登場し、歌「わらびもち」を披露した(この回の「パペポTV」は「嵐の春場所」においてけが人が出たことを踏まえ、事情説明のために、本編の前に割り込む形で笑福亭鶴瓶の行う前説が20分ほどON AIRされた)。
「テントひとりぼっち」で引退直前の上岡龍太郎がゲストで登場した時、2代目上岡龍太郎として芸名を譲ると言われたが、「サインで書きにくい」という理由で丁重に断った。その舞台上で、師匠と弟子が並んで「大股開き歩き」(テントが舞台に登場する時のお約束行動)で退場という、二度と見られない貴重なシーンが展開された。
ちなみに、2006年現在既婚であり、吉本興業の特番や関西テレビの「鶴瓶&なるみのほんまか」という番組で夫婦生活が紹介されていたが、その実態は「1日中家で遊び呆けている夫を妻がアクセサリー加工の内職をしながら世話をしている姿に終始する」というものであり、取材VTRを見た番組の出演者に「一度も家の外に出ない密着取材VTRを観たのは初めてだ」と言わしめるほどの内容であった。現在の妻とは、テントが東京の仕事の際に共通の知人を通じて現在の妻の家(当時)に宿泊させてもらい、御礼の手紙を書いたのをきっかけに、文通による交際が始まったものである。テントが書いて送っていたラブレターの内容は、ところどころに自分の持ちギャグを入れたり、意味なく色を塗るなど、おおよそ普通の大人が書くものとは思えない内容のものであった。しかし、テントの妻はその手紙を通じて子供のような汚れの無い純粋さを感じ次第に惹かれるようになり、結婚を決意した、と言っている。
中学時代、自分の自慰行為に悩む姿を書き連ねた日記をつけていたらしい。後年、パペポシアター(「パペポTV」のイベント企画)で師匠の上岡龍太郎にその内容を暴露された。
[編集] 主なギャグ
- 「人間パチンコ」(スロットが回るが「グルグルグル…5、5、手のひら!…なんのこっちゃ!」「グルグルグル…7、7、斜め!」など)
- 「蜘蛛の決闘」
- 「わからん人放っときますよ。いちいち説明しませんよ。義務教育やないねからね」
- 「ウェッ、ウェッ」(肩をあげながら言う)
- 「このネタ、取らんといてな」
- 「面白ないでしょ?さっき考えたところやからね。キューやもん」(左肩だけ上げる)
- 「今笑わんとね、これからずっと面白ないよ、ここが山ですから。ひっくい山やなぁ」
- 「僕の笑いね、意外と奥深いよ。幅狭いけどね」
- 「もうそんなんでね、どんなんやねん、そんなんですよ、どんなんや、そんなんですよ」
- 「あ、今ね、話変わりましたよ。ぼさーっとしてたらね、時代に取り残されるよ」
- 「吉良の首とった、ゆうてもね、頭も一緒にとるんですよ。首だけやったら誰のか分からんからね」
- 「吉良の首とった、ゆうてもね、頭も一緒にとるんですよ。首だけやったら2回切らなあかんからね」
- 「ハァ!カマキリの落とし子、テント」
- 「ギャシャリンベン、ドッハー!」
- 「このネタ、分解して、家で組み立てて考えてください。時々部品足らん事がありますけど」
[編集] 映画
[編集] CM
[編集] レコード・CD
- わらびもち(1990年発売、2000年にCD化)
- デカメロン(2003年発売)
[編集] 脚注
- ^ 「お笑いタイフーンJAPAN vol.11」