大木統光
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大木統光(おおき むねみつ、生没年不詳)は筑後十五城の筆頭大名の蒲池氏重臣。
大木氏は、筑後宇都宮氏の蒲池久憲(宇都宮久憲)の弟である宇都宮資綱の子の大木政長にはじまる。大木統光は政長の子孫で、蒲池鎮漣の母親の貞心院は田尻鑑種の姉だったが、大木統光の母は鑑種の妹であり、統光は鎮漣とは従兄弟になる。名を俊光とも。
鎮漣が龍造寺隆信の執拗な誘いを断りきれず肥前に向ったことを知った統光は、鎮漣一行の後を追いかけ、龍造寺氏とは和睦はなったが、まだ戦時状態に等しく危険であると、肥前行きをやめるように諌めた。
肥前で蒲池鎮漣が謀殺されたことを知った統光は、佐賀へ馬を走らせ、鍋島直茂の元へ行き、主の鎮漣の後を追い切腹しようとしたが、止められ、浪人になるが、統光の人物を見越した鍋島直茂に抱えられ、その子孫は鍋島藩の大物頭となり、明治の政治家で華族(伯爵)の大木喬任も子孫の一人。