声明
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声明(しょうみょう)とは日本の伝統音楽の一つ。仏典に節をつけたもので儀礼に用いられる宗教音楽である。日本では、梵唄(ぼんばい)・梵匿(ぼんのく)ともいう。旧字体では聲明と書く。
目次 |
[編集] 概要
古代インドの学問分野(五明・ごみょう)の一つ。五明とは、声明(音韻学・文法学)・工巧明(工芸・技術論)・医方明(医学)・因明(倫理学)・内明(自己の宗旨の学問、仏教者の場合は仏教学)の5種類の学問分野を指す。日本への仏教伝来と共に伝わり定着した。754年(天平勝宝4年)に東大寺大仏開眼法要のときに声明を用いた法要が行われた記録があり、奈良時代には、声明が盛んにおこなわれていたと考えられる。
平安時代初期に最澄・空海がそれぞれ声明を伝えて、天台声明・真言声明の基となった。 天台宗・真言宗以外の仏教宗派にも、各宗独自の声明があり、現在も継承されている。
声明は口伝(くでん)で伝えるため、楽譜がなかった。そのため、伝授は困難を極めた。後に楽譜にあたる、博士(はかせ)が発明された。また、各流派により博士などの専門用語には違いがある。
しかし博士は、唱えるための参考であり、声明を習得しようとすれば、口伝(ロイとも言う)(指導者による面授)が必要であり、師から弟子への流派の維持・継承は出来ない。そのために指導者・後継者の育成が必須であった。さまざまな条件が重なって、多くの流派が廃絶してしまった。
[編集] 天台声明
天台声明は最澄が伝えたものが基礎となり、独自の展開をした。 最澄以後は、円仁・安然が興隆させた。融通念仏の祖の良忍が中興の祖として知られる。1109年(天仁2年)に、良忍は、京都・大原に来迎院を建立した。大原の来迎院の山号を、中国の声明発祥の地・魚山(ぎょざん)に擬して、魚山と呼称された。やがて、来迎院・勝林院の2ヶ寺を大原流魚山声明の道場として知られるようになった。また、後に寂原が一派をなして、大原には2派の系統の声明があった。のちに宗快が大原声明を再興するに至った。
湛智が新しい音楽理論に基づいた流れを構築した。以降、天台声明の中枢をなし、現在の天台声明に継承されている。
融通念仏宗、浄土宗、浄土真宗の声明は、天台声明の系統である。
[編集] 真言声明
真言声明は空海が伝えたものが基礎となり、現在に至っている。 声明が体系化されてきたのは真雅以降である。寛朝はなかでも中興の祖ともいえる。声明の作曲・整備につとめた。
鎌倉時代までは多くの流派があったが、覚性法親王により、4派(本相応院流・新相応院流・醍醐流・中川大進流)にまとめられた。古義真言宗の声明は江戸時代にかけて衰微・廃絶した。本相応院流・新相応院流・醍醐流は明治中期ごろまでには廃絶した。
現在では、智山(ちざん)声明(京都・智積院)、豊山(ぶざん)声明(奈良・長谷寺)、南山進流(なんざんしんりゅう・高野山、京都・古義真言宗寺院)に分別される。
- 智山声明・豊山声明(新義真言宗系声明) :真言宗智山派・真言宗豊山派、両派の声明は、もとは、中川大進流に由来する。頼瑜が醍醐の古流を採り入れた。1583年(天正13年)根来寺(和歌山県)が豊臣秀吉に焼き討ちされて衰微すると、智山・豊山の両派は、醍醐の古流をもとにして、一派を形成するに至った。特徴としては、豊山の「論議」・智山の「声明」と称される。
- 南山進流(古義真言宗系声明) :中川大進流がもとになった。中川大進流は、奈良・中川寺の大進が流祖。貞永年間(1232~1233)に高野山蓮華谷・三宝院の勝心が本拠地を高野山に移した。後に高野山の別名、南山を冠して、南山進流と称した。進流・野山進流とも称する。
[編集] 声明と日本の伝統音楽
平曲・謡曲、民謡、浄瑠璃などの音曲は声明の転化といえる。単旋律音楽にあたえた影響が大きい。