壬生浪士
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壬生浪士(みぶろうし)あるいは精忠浪士(せいちゅうろうし)は、新選組の前身集団。
文久三年(1863年)清河八郎が京へ率いた浪士組が東帰した後も、京(現在の京都府京都市)に残った24名で構成。構成内容は以下参照。新選組となる以前の壬生浪士たちは身なりの貧しさから、「みぼろ」(壬生浪=みぶろ・みぶろう)と一部の京の人たちに揶揄されていた。「壬生の狼」とも呼ばれた。また、女性隊士がいたという説もある。
[編集] 初期構成員
創設メンバー24名。
芹沢一派
- 芹沢鴨:1863年9月18日、土方らに奇襲を受け、討死。粛清。
- 新見錦:1863年9月13日、切腹。
- 田中伊織:新見と同一人物。(諸説あり)
- 平山五郎:芹沢と共に粛清された。
- 平間重助:1874年8月22日、郷里の芹沢村で死去。
- 野口健司:1863年12月27日、切腹。
- 佐伯又三郎:1863年8月10日、長州の間者として芹沢に殺害される。(諸説あり)
- 粕谷新五郎:1863年に脱隊。
試衛館一派(近藤一派)
- 近藤勇:1868年4月25日、官軍によって斬首。
- 土方歳三:1869年5月11日、箱館戦争中に討死。
- 沖田総司:1868年5月30日、労咳のため死去。
- 山南敬助:1865年2月23日、脱走のため、屯所で切腹。
- 永倉新八:1915年1月5日、天寿を全うし、死去。
- 原田左之助:1868年5月17日、上野戦争の際に重傷を負い、死去。
- 井上源三郎:1868年1月4日、淀千両松の戦いで討死。
- 藤堂平助:1867年11月18日、油小路で近藤らに襲撃を受け、討死。
- 斎藤一:1915年9月28日、胃潰瘍のため死去。
- 阿比類鋭三郎:1863年4月6日、病死。もしくは殺害。
殿内・家里一派
- 殿内義雄:1863年3月25日に四条大橋で近藤らに暗殺される。
- 家里次郎:1863年4月24日に将軍警護の旅先の大阪で、芹沢、近藤一派らに、切腹を強要され切腹。
- 根岸友山:1863年4月下旬、伊勢参りに行くという口実で帰東。1890年12月3日、死去。
- 遠藤丈庵:根岸と共に帰東。
- 清水吾一:根岸と共に帰東。1872年5月27日、死去。
- 鈴木長蔵:根岸と共に帰東。
- 神代仁之助:1863年4月下旬に脱走。
[編集] その他隊士
初期構成以降から新選組と名前が変わるまでに入隊した隊士。
1863年5月頃迄
- 佐々木愛次郎……1863年8月2日、何者かによって殺害される。
- 川島勝司……1866年、除隊後に新選組だと名乗り、金銭を騙し取った末、切腹させられる。
- 三浦堅太郎……1863年7月迄に離隊。
- 佐々木蔵之助……1865年7月迄に離隊。
- 安藤早太郎……1864年7月22日、池田屋事変で負った傷がもとで病死。
- 松原忠司……1865年9月1日、病死。
- 亀井造酒之助……1863年7月迄に離隊。
- 蟻通七五三之進……1864年6月迄に脱走?
- 馬詰柳太郎……1864年6月5日、脱走。
- 馬詰信十郎……1864年6月5日、脱走。
- 濱口鬼一……1864年6月迄に脱走?
- 林信太郎……1868年10月27日、戊辰戦争の際、討死。
- 田所弘人……1864年6月迄に脱走?
- 島田魁……1900年3月20日、死去。
- 家木将監……1863年7月迄に離隊。
- 中村金吾……1867年6月迄に離隊。
- 山田春隆……1863年7月迄に離隊。
- 大松系斎……1863年7月迄に離隊。
- 細川内匠……1863年7月迄に離隊。
- 杉山腰司……1863年7月迄に離隊。
1863年5月25日以降
- 尾形俊太郎……1868年の会津戦争の際に行方不明。
- 山崎烝……1868年1月13日、鳥羽・伏見の戦いの傷により、江戸に向かう船内で死去。
- 谷三十郎……1866年4月1日、頓死。
- 尾崎弥兵衛……1865年11月17日、病死。
- 河合耆三郎……1866年2月12日、隊内の金銭を無くしてしまい、切腹。
- 酒井兵庫……1864年の池田屋事変以降、1865年7月頃に脱走し、斬殺。
1863年8月18日迄
- 松永主計……1863年9月26日、長州の間者であった事が露見し、脱走。
- 奥沢栄助……1864年6月5日、池田屋事変の際に討死。
- 楠小十郎……1864年9月26日、長州の間者であった事が露見し、原田に殺害される。
- 土方対馬……1864年6月迄に脱走?
- 阿部慎蔵……1867年に御陵衛士として脱退。1907年1月6日、死去。
- 森六郎……1864年6月迄に脱走?
- 山野八十八……箱館戦争前に離隊。1910年、死去。
- 蟻通勘吾……1869年5月11日、箱館戦争の際、戦死。
- 宿院良蔵……1868年1月6日、橋本の戦いで戦死。
- 尾関雅次郎……1892年2月28日、死去。
- 馬越三郎……池田屋事変以前に、武田観柳斎の男色に困り、土方に訴え、脱退。
- 松崎静馬……八月十八日の政変に参加。以後、不明。
- 篠塚峯蔵……池田屋事変に参加。江戸への隊士募集の際、留守を預かる。
- 藤本彦之助……1864年6月迄に脱走?
- 御倉伊勢武……1863年9月26日、長州の間者であった事が露見し、斎藤に殺害される。
- 伊藤与八郎……1864年6月迄に脱走?
- 柳田三二郎……1865年7月迄の在隊。以後、脱走?
- 上田金吾……1864年6月迄に脱走?
- 和田隼人……1864年6月迄に脱走?
- 越後三郎……1863年、長州の間者であった事が露見し、脱走。
- 中村久馬……1864年6月迄に脱走?
- 菅野六郎……1864年6月迄に脱走?
- 荒木田左馬之助……1863年9月26日、長州の間者であった事が露見し、永倉に殺害される。