土佐七雄
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土佐七雄(とさしちゆう)とはかつて土佐国に存在した土佐一条氏を除く七豪族の事である。この中から戦国時代末期に四国を統一した長宗我部氏が出た。
[編集] 土佐七雄の成り立ち
土佐は古来より罪人などが流される地であり、北を四国山脈に塞がれ、南は太平洋に面しているため、どこにも行けぬ陸の孤島であった。南北朝時代に細川頼益が守護代として入国し安定を見せたが、応仁の乱により細川氏が衰退すると、在地の豪族達が勢力を伸ばし始めた。これが土佐七雄である。
[編集] 豪族一覧
- 一条氏 - 幡多郡16000貫を支配した。一条兼定など。
- 本山氏 - 長岡郡5000貫を支配した。本山茂宗など。
- 吉良氏 - 吾川郡5000貫を支配した。吉良親貞・吉良親実など。
- 安芸氏 - 安芸郡5000貫を支配した。安芸国虎など。
- 津野氏 - 高岡郡5000貫を支配した。津野親忠など。
- 香宗我部氏 - 香美郡4000貫を支配した。香宗我部親泰など。
- 大平氏 - 高岡郡4000貫を支配した。大平元国など。
- 長宗我部氏 - 長岡郡3000貫を支配した。長宗我部国親・長宗我部元親など。